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携帯とネットがもたらした庶民レベルの情報革命

 

電話の申し込みに長蛇の列

1978年当時の電話交換台。当時はまだ自動制御の電話交換機はなく、手動式の交換台で電話を取り次いでいた
「改革・開放」の初期まで、中国の電話事業は非常に遅れていた。当時、農村にはほとんど電話がなかった。大都市も電話は多くはなかったし、政府機関や社会団体、企業だけが電話を設置することができた。統計によると、1978年、中国の電話普及率は0.38%に過ぎなかった。言い換えれば260余人に1台しかなく、世界の平均の10分の1にも達しなかった。

電話不足が原因で、多くの苦いできごとが各地で起こった。

安徽省の馬鞍山鉄鋼公司は従業員7万人を擁する大型の鉄鋼会社である。1980年代初め、外国の投資家がやってきて、投資のプロジェクトについて商談を始めたが、彼らは約70キロ離れた江蘇省の南京に宿泊したいと言う。その理由は、この公司には、使える電話が7回線しかないからだった。

またある外国投資家は、飛行機で香港に行き、外国と連絡をとった。「中国は電話のない国」というのが外国投資家たちの認識であった。

個人住宅の電話は、高官や社会の知名人を除いて、普通の市民や幹部は設置することができなかった。庶民は、急用があって遠くの友人に電話をかけるときには、郵便電信局に行かなければならない。しかし電話回線は少なく、電話をかける人が多いので、全国の長距離電話の50%はつながらなかった。北京とウルムチ(烏魯木斉)間の長距離電話の接続率は3%にも達しなかった。だから北京の電報大楼に長距離電話をかけに行く人は、しばしば昼の弁当を持参した。

「改革・開放」は中国の経済と社会に急速な発展をもたらした。1990年以後、幹部や民営企業主から普通の市民まで、どの業種の人もみな、発展し、豊かになるための情報を電話から得たいと思った。そのため電話設置の需要は爆発的に増加した。

当時、電話設置を申請するには5000元が必要だった。勤続30年の筆者の月収は440元だったから、それは相当な負担だった。にもかかわらず、申請する人が多く、実際に設置するのは非常に難しかった。本来無料の電話設置申請書までが、ブラックマーケットで80元で売られていた。

1994年春、私は5000元を持って、近くの展覧館路電話局に電話設置の申請に行った。まだ夜が明けないうちに家を出たので、行列の前の方に並べると思っていた。ところが電話局に来てみると、門前は黒山の人だかりだった。行列の番号札を受け取ろうとしていたのだった。

私も急いで番号札を受け取り、そして行列に並んだ。午後2時過ぎになってやっと、設置費用の5000元を支払うことができた。現在、中国移動通信グループ公司の王建宙総裁は当時、杭州で仕事をしていたが、杭州では数万人が行列をつくり、1昼夜並んで、2日目にやっと設置費用を納めることができたと、彼は言っている。

最初の設置費用は高かったが、かえってこれが電話を急速に普及させた。住宅電話の設置を例にとると、1990年には183万4000台だったが、1997年には5463万八千台になった。この発展のスピードはおそらく世界一だろう。

 

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