監督 賈樟柯(ジャ・ジャンクー) |
2008年中国、日本 |
2009年4月18日よりユーロスペースにて公開 |
成都にある巨大な420工場はかつて軍需工業として栄えたが、やがて家電を作るようになり、その後ついに操業停止、民間企業に買収された。工場は取り壊され、二十四城という商業地区を併設する高層住宅地区が建設されることになった。
映画はドキュメンタリー部分で工場の元労働者たちの姿を追い、年老いたかつての熟練工とその徒弟だった工員の再会、経営不振に陥ってからリストラされた女性工員のその後の苦しい生活の現実などが淡々と語られる。一方でドラマ部分として、東北から成都へ工場の移転に伴ってやってきた老婦人の悔恨や、上海の航空部隊から派遣され、成都で根を下ろすことに甘んじることができず婚期を逃した中年女性の胸のうち、共に工場で働く両親への反発から金儲けに走る若い女性の胸のうちなどが独り芝居で描かれる。
「君は賈樟柯を見たか?」 と中国の映画人たちに聞かれたのは1990年代の終わりのことだ。そこで、北京電影学院の先生から、人の手から手に渡ってダビングされてきたのであろう非常に画質の悪い『小武』のビデオテープをもらって見てみた。あまりに事前の評判が高く、期待し過ぎたせいか、社会の片隅に生きる青年のやるせなさと悲しみに胸を打たれはしたものの、謝飛監督姜文主演の『黒い雪の年』の二番煎じという感じもなくはなかった。
その後、わりとすぐに日本でも、雑誌『ぴあ』主催の映画祭で『一瞬の夢』という邦題で上映され、日本のアート系配給会社に評価され、アカデミー派の映画評論家に絶賛された。そのことは賈樟柯青年にとって幸運だったのか、果たして不幸だったのか。
そして、日本の資金を得て撮った第2作『プラットホーム』はfilmexという作家性のある映画を集める映画祭で3時間のオリジナルバージョンが上映され、たくさんのシネフィルがつめかけた。私がこの作品で面白かったのは時代風俗だけだ。遠景で撮ったバスが画面の右上の端から走り出し、カメラがずっとそのバスを追うシーンでは、途中ウトウトし、数分後ハッと気づいたら、まだバスが画面左下を走っていたのには呆れた。
それでも一縷の期待を抱いて見に行った第3作の『青い稲妻』は『一瞬の夢』のただの焼き直し的作品で、悪いことに扇情的になっていて、『一瞬の夢』で感じられた主人公への共感もまったく感じられなかった。主人公の家のテレビから流れる政治的なニュースにも疑問を感じた。これが日本の出資者の意図なのだとしたら、若い才能を日本がつぶしたことになると憤りを感じたものだ。
その後、賈樟柯はヨーロッパの映画祭の常連となったが、初めて中国国内で上映された『世界』はDVDを買ったものの、見続けることはできず、ヴェネチアで金獅子賞を獲った『長江哀歌』は題材を知って見に行く気力を失った。今回、『四川のうた』を見に行ったのは、ドキュメンタリーとドラマの融合という手法に興味をそそられたからだが、その結果は、なぜせっかく重みのあるドキュメンタリーになり得た作品に、わざわざ扇情的なドラマをくっつけたのかという疑問が強く残って終わった。
ドラマ部分にせっかく呂麗萍、陳冲、陳建斌という芸達者たちを使っているのに、取材に応じる工員という形での演技がどうも役者の芸を見せられているようで、実在の工員たちの人生を濃縮させたという、その内容に作り物感が拭えない。切々と語る、あるいは無言の表情がすべてを語るドキュメンタリー部分と比べて、優れた俳優である彼女たちがあまりに口舌が滑らかで感情表現が豊かなのが逆効果になっている。
それでも、そのキャスティングは見事である。中年女性の色香と哀愁を漂わせた陳冲の演技もすごいが、70代の老婦人を演じた呂麗萍がその陳冲よりも実年齢では数歳若いというのもすごい。この2人はまさに中国映画界の押しも押されぬ実力派女優と言える。
「二十四城」という工場跡地のマンションの名称が映画のタイトルにもなっていることにも首を傾げた。成都の古称であると詩が紹介はされるが、工場を買収した企業がスポンサーとしてクレジットされていて、宣伝臭が感じられるからだ。一体、この映画で何を言おうとしているのか。ただのノスタルジーなの?と思ってしまうのは監督の立脚点が見えないからだ。
唯一、感心したのは監督の恋人でもある趙濤が、独り語りするうちに窓の外が少しずつ暗くなっていくシーンだ。賈樟柯映画は盟友余力為のカメラに救われている部分が大きい。
人民中国インターネット版
|