レトロな洋館の追憶  
 

 

上海。海に近く、名に海の文字を取り入れたこの街は、中国でとりわけグローバルな都市のひとつである。20世紀前半、上海はニューヨークに次いで世界でもっとも開かれたメトロポリスであり、胸に野心を抱いたあまたの人々が英国、フランス、ドイツ、日本、ロシアなど50カ国以上の国から、一攫千金を夢見て、この街に吸い寄せられた。中国近代史における赫々たる文人墨客、政界の著名人たちもまた、この街に生活した痕跡を残している。

現在では、金茂大廈、上海環球金融中心(SWFC)など、所狭しと建ち並ぶ摩天楼が、ヌーベル上海の日進月歩の新たな様相を象徴している。しかし、旧市街に隠れるように残るギリシャ風、ロココ調、日本風、ロシア風、アラビア式の古い住宅には、昔日の上海の姿が刻み込まれている。

おとぎ話の世界のような旧マーラー邸

旧マーラー邸の内の、こじんまりとした精巧で、ゴージャスなリビングルーム

旧マーラー邸内の美しい装飾窓と天井
上海の静安区にある旧マーラー邸は、ノルウェー・スタイルのシャトー風邸宅である。遠くから見ると、鋭くとがった屋根と半透明の色ガラスは、まるでおとぎの国の建物のようで、一歩足を踏み入れれば「シンデレラ」や「えんどう豆の上のお姫さま」に出会いそうな錯覚に陥る。

ある夜、ニルス・マーラーの娘が「アンデルセン童話に出てくるようなお城」に住んでいた夢を見たと言って、それを絵に描いた。その絵を見たマーラーは、「これは面白い」とその絵の通りに160部屋もある邸宅を建てたという。

マーラーは、もともと水上運輸事業で財を成した人物であったことから、邸宅の内部のインテリアは、まるで豪華客船のごとくであった。廊下には船べりのように丸窓があり、木彫りの版画には、水平線の日の出、灯台、錨、波などの様子が描かれ、フロアにも海草などが描かれた。

マーラーが中国で成功を収めたのは、彼が中国に対して深い親しみを抱いていたためであろう。この北欧スタイルの邸宅のディテールには、少なからぬ中国情緒の装飾も目につく。たとえば玄関にある2体の石の獅子、周りを囲む塀の上の緑がかった瑠璃瓦、あるいは廊下を歩くと出くわす厨子に、誰もが微笑まずにはいられない。

現在、旧マーラー邸は5つ星クラスのホテル「衡山馬勒別墅飯店」となっている。宿泊しない限り、一般の人がこの中に入って本当の姿をうかがい知るチャンスはほとんどない。「上海の古い洋館は、どこもかしこも商業的なにおいの濃厚すぎるホテルかレストランに改装されてしまった」と多くの人が不満を口にする。しかし、建設用地が逼迫し、古い洋館が次々に取り壊されていくという現実の中、古い建物を、そして昔日の上海の記憶を留めておくためには、おそらくこれも最良の策の1つなのだ。

子供たちのマーブル・ハウス

「マーブル・ハウス」と呼ばれる上海静安区延安西路の中国福利会少年宮

旧マーラー邸からそう遠くないところにある中国福利会少年宮もまた、広く知られる庭園住宅である。その敷地面積はおよそ1万4000平米、主体建築は3300平米に及ぶ。18世紀のヨーロッパ宮廷スタイルを模し、ホールの天井は高さおよそ20メートル、ドーム、フロア、階段、手すりが、すべて大理石で作られていることから、「マーブル・ハウス」と呼ばれている。

マーブル・ハウスは1924年に建てられた。建設当時、「東西の特徴を織り交ぜ、鮮明なコントラストを際立たせている。善と悪とがせめぎあう東洋のパリで、胸に野心を抱いてやって来た人々に楽園を与えた」と称えられた。

子供たちの楽園となった現在のマーブル・ハウス

マーブル・ハウスのオーナーであるエリー・カドゥーリも、一攫千金を求め、上海にやってきた野心家の一人であった。1919年、黄陂南路にあった邸宅が火事になり、その火事で彼は妻を失った。2人の息子をつれてしばらくロンドンで暮らすことにしたカドゥーリは、新たな住宅の建設を友人の建築家グラハム・ブラウンに委託した。ブラウンはアル中で、設計するときはいつもフラフラに酔っ払った状態であったという。それでも、ロマンあふれる情熱を胸に、そのブラウンが設計したのがこの大理石のマーブル・ハウスである。

マーブル・ハウス内の精巧で美しい窓の建築の装飾
1924年、上海に戻ったカドゥーリが目にしたのは、だれもが目を見張るほど豪華な宮殿、アル中で入院した建築家、そして100万テールを超える銀の請求書だった。それは当時の米の価格に換算すると、14万人が1年間食べていけるほどの大金であった。この豪華な邸宅に、カドゥーリは泣くに泣けず笑うに笑えなかった。邸宅の清掃と庭の手入れのために30人あまりの使用人を雇わなくてはならなかったのである。しかしそれでも彼はこの建築を気に入り、たびたび友人たちを招いては、パーティーを開いた。

1938年、多くのユダヤ人が上海になだれ込むと、カドゥーリの息子は先頭に立って救助会議を招集した。上海のあらゆるユダヤ人社会団体及び社会救済組織がこのマーブルハウスに集まり、ここに「上海ヨーロッパ難民救援委員会」が成立した。そしてヨーロッパからのユダヤ系難民を収容し、避難中のユダヤの若者たちに良好な教育を与えた。

新中国成立後、カドゥーリ家は上海での事業を打ち切って香港に移り、このマーブル・ハウスは中国福利会少年宮となった。週末になると、上海の小中学生がここで音楽、美術、科学普及などの育成活動に参加する。敷地内にはさらに科学技術楼、娯楽楼、小劇場、天文館が建設され、子供たちの楽園となっている。(高原=文・イラスト 馮進=写真)

ト ラ ベ ル 情 報

衡山馬勒別墅飯店(旧マーラー邸)
上海静安区陝西南路30号(延安中路近く)021-6247-8881 公共バス925、936、71、49路陝西北路下車
嘉道里住宅(カドゥーリ公邸/マーブル・ハウス)
上海静安区延安西路64号(華山路近く) 021-6248-1850 地下鉄2号線静安寺駅、公共バス925、936、 71路華山路下車

 

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