万博と中国  
 

 

1851年ロンドン万博

2002年初、上海図書館の「万博研究組」が発見・実証したによって、1851年の第1回ロンドン万博で、中国で会社経営をしていた一部の外国人商人と中国人商人が、シルク・茶・漢方薬などの伝統的な商品を展示し、多くの賞を受けたことは明らかだ。

1873年のウィーン万博

初めて中国が参加した万博は1873年のウィーン万博である。清朝政府税関総税務司のイギリス人ハートに選ばれた候補者が、中国代表として万博に参加したことが歴史資料に掲載されている。1876年、中国税関代表の李圭が米国・フィラデルフィア万博に参加したことも、『環遊地球新録』を記録されている。この二つが中国の万博参加の始まりと言われている。

1876年フィラデルフィア万博

初めて中国人として選抜・派遣された代表が参加する万博は、1876年の米国・フィラデルフィア万博である。面積約2500㎡の中国館が念入りな飾り付けと鮮明な中華民族の特色で見学者を引き付けたという。

1904年セントルイス万博

中国が初めて国家として、商人と共に参加した万博は1904年セントルイス万博である。清朝政府は展示参加を重視し、巨額の費用で中国村と中国館を作った。セントルイス万博の展示参加が初めての正式な万博参加と認められる。

1905年リエージュ万博 1905年は光緒末年である。世界博覧会はベルギー・リエージュで開催された。清朝政府の代表が展示活動に参加した。リエージュ万博で、栄誉賞と金・銀賞など100枚を受賞した。

1915年サンフランシスコ万博 1915年パナマ世界博覧会が米国・サンフランシスコで開催された。当時、中華民国政府が成立しており、万博を高度に重視した。中国の展示品は1211枚の賞を受賞し、57枚のメダル、74枚の名誉賞メダル、258枚の金メダル、337枚の銀メダル、258枚の銅メダル、227枚の状詞賞を得た。 1926年フィラデルフィア万博

1926年フィラデルフィア万博で、主催者の米国以外では、中国と日本の多くの展示が一目を引いた。中国人は万博展示によって、遅れた国家の実情と経済貿易を発展させる必要性を感じた。これをきっかけに、1929年杭州で中国人自身による万博―西湖博覧会が開催された。

新中国と万博

新中国が成立してから1982年まで、西側諸国は世界博覧会を開催してきたが、中国に参加するよう招待しなかった。

中国と米国が1979年に正式に国交樹立してから、米国ノックスビル世界博覧会の組織者は、中国に1982年5月1日~10月31日の間、テネシー州ノックスビル市で開催した「エネルギー」専門世界博覧会に参加するよう招待した。

国務院の批准によって、中国貿易促進会は初めて国家を代表して中国館の参加を組織した。中国館は万博会の舞台に上がり、万博会の新しいスポットライトとなった。

それ以後、これまでのすべての万博会組織者は、すべて中国に参加するよう招待した。2001年末まで、中国は全部で10回の万博に参加して、中国貿易促進会が具体的に組織・実施した。この10回の万博は、1982年の米国ノックスビルの「エネルギー」専門性万博、1984年の米国ニューオリンズの「水源」専門性万博、1985年の日本の筑波「科学技術」専門性万博、1986年のカナダ・バンクーバーの「交通通信」専門性万博、1988年のオーストラリア・リスベンの「科学技術時代のレジャー生活」専門性万博、1992年のイタリア・ジェノバの「船舶と海洋」専門性万博、1992年のスペイン・セビリアの「発見の時代」総合万博、1993年の韓国・大田の「新しいテーク・オフへの挑戦」専門万博、1998年のポルトガル・リスボンの「海洋-未来の財産」専門万博、2000年のドイツ・ノーバーの「人類-自然-技術」総合性万博である。

1988年のブリスベン万博、1992年のセビリア万博、1993年の大田万博で中国館は、それぞれ「5つ星展示館」と「最優秀外国館」に選ばれた。

 

 

 
 
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