天龍屯堡古鎮は、貴州省安順市に所属する平壩県内にあり、古代の駅道の宿場の一つであり、安順一帯の、明朝の屯田軍が残した数百の砦の村の一つである。全鎮には、現在1250戸、5000人余りが住み、陳、鄭、張、沈が四大姓である。
屯田の砦の由来は、明・洪武十四年(1381年)、明の太祖、朱元璋が、「調北征南」を発令し、辺境への屯田が行われ、軍事的な意味を持つ群落が形成され、その主要な住居は、安順一帯であった。
当時から現在まで、このあたりの屯田の人々は、600年あまりの月日の流れのなかで、初期に貴州北部にやってきた当時の服装、言語、風俗、信仰、または生産方式などを変えず、中原および江南の文化を主導とし、独特の屯田の砦の文化を築いた。
屯田の砦の文化は、封建時代の戦争と経済が結びついて残されたものであり、明代の江南と中原の文化が安順の土地に流れ着き、保存され、その人類の文化学、民俗学、倫理学のなかに独特の地位と意義を持つ。
屯田の砦の文化は、貴州省の非物質文化遺産リストに最初に批准されており、その文化芸術の一部である安順の地方劇は、最初の国家非物質文化遺産リストに登録されている。
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