千年の伝承
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仏光寺東大殿には8つの唐代の壁画が保存されている。いずれも中原地域において滅多に見ら れない唐代寺院壁画の貴重品である。写真は中でももっとも貴重なものの1つである天王降魔図 |
五台山中心部の台懐鎮にある顕通寺には、また別の奇談が伝わっている。かつて、インドの高僧・迦葉摩騰や竺法蘭が、仏法を伝授するために招きに応じて中国にやって来た。漢の明帝は小さな寺を建て、そこを2人の住まいとした。これが中国で最初の仏教寺院、洛陽の白馬寺である。やがて、洛陽を出発して北上し、五台山にやって来た2人の僧は、現在の顕通寺の位置が釈迦牟尼が修行を行った天竺(現在のインド)の霊鷲山にきわめて似ていることに気づいた。
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顕通寺の無量殿の内部。天井の高さは20.3メートル、幅28.2メートル、奥行き16.2メートル | そこで、2人は明帝にそのことを上奏し、ほどなくして雄大な「大孚霊鷲寺」が建てられた。寺の名はその後何度も変わったが、現在では明の太祖より賜った「大顕通寺」の名を踏襲している。同寺は洛陽の白馬寺とともに、中原(黄河中流・下流の地域)における仏教寺院の元祖と呼ばれている。
顕通寺の中には、壮大な大雄宝殿がそびえ立っている。敷地面積は670平米に及び、五台山随一の殿堂を誇る。無量殿は無梁殿とも呼ばれ、建築全体に梁も柱もなく、すべてレンガを用いた迫持(アーチ状にくさび型のレンガを積んでせり合わせて支える構造)の技術によって築かれている。明代の建築では、滅多に見られない貴重な宝物である。顕通寺の銅殿は、明の万暦帝が母の長寿を祈願し、当時の高僧・妙峰祖師に命じて造らせたといわれている。万戸に布施を請い、万斤の銅を使い、万体の仏像を鋳造するなど、すべてにおいて「万」の文字にこだわったところにも、皇太后の長寿を祈る思いがこめられているという。歴代の皇族とさまざま密接なつながりがあるため、顕通寺は一貫して五台山の青廟(中国に伝来した仏教の寺院)の第一の寺であり続けている。
五台山の黄廟(ラマ廟ともいわれる、チベット仏教ゲルク派の寺院)の第一の寺は顕通寺の北山にある菩薩頂である。この寺は北魏時期(386~534年)に建てられ、もともとは青廟であったが、清の順治年間に黄廟に変わった。清の康熙、乾隆2人の皇帝が何度も五台山を訪れ、「朝台」し、その度にこの菩薩頂の西禅院に宿泊したため、皇帝の離宮となった。
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龍泉寺の門前にある漢白玉 づくりの牌坊 | 龍泉寺は宋代(960~1279年)に建てられ、歴代数度にわたる修繕が行われたが、現在の建築は主に民国時期(1912~1949年)に再建されたものである。108段の石階段を上がると、山門の前の台地に、4本の柱、3つの門からなる木造に見せかけた石彫りの漢白玉(大理石に似た白色の岩石)造りの牌坊(鳥居に似た形の建物)がまず目に入る。牌坊全体は石のリベット(締め釘)やほぞで接がれ、隙間なくぴったりとくっついている。複数の腕木(斗栱)組み構造が重なり、反り返った軒先を持ち、すべての構造が彫刻で覆われている。彫刻には人物にまつわる物語、鳥や獣、花や果物、獅子や龍などがある。念入りで細やかな技術や真に迫って生き生きとしたその構造は、五台山における最高のものと言ってよいだろう。造営は1926年に始まり、石職人であり設計者でもある胡明珠が200人以上の職人とともに、6年がかりで1931年に完成させた。この石の牌坊は、五台山という仏教聖地における仏教芸術の傑作となっている。この牌坊を見つめていると、千年もの時を経て伝わってきた仏教文化の、依然として強大な生命力を感じることができる。
龍泉寺の南西から5キロ離れた山間に、典型的な古刹・竹林寺がある。唐の代宗の大暦年間(766~779年)に建てられたこの寺は、中日の僧侶の友好的な往来の歴史的証である。日本の高僧・円仁法師の著した『入唐求法巡礼行記』によると、唐代の竹林寺の規模は非常に大きなもので、6つの寺院を擁する有名な浄土宗の道場であった。創始者である法照法師は、後世の人々に浄土四祖と呼ばれて尊ばれている。その盛名を慕い、仏法を求めてこの地を訪れた円仁法師は、ここに半月あまり滞在した。中国で7年にわたり仏法を学んだのち日本に戻り、この間の経験を『入唐求法巡礼行記』として書き残している。学術価値において唐僧玄奘『大唐西域記』やマルコ・ポーロ『東方見聞録』に匹敵するこの巡礼行記は、中日両国の友好や文化交流に積極的な役割を果たし、大きな影響を与えた。竹林寺の大雄宝殿の前にある石碑に、「日本天台入唐求法沙門円仁慈覚大師御研鑽之霊跡」の文字が刻まれている。これは日本天台宗の僧侶・上阪泰山和上が、1942年、円仁法師のために建てたものである。
現在、竹林寺は再建・復旧作業が進められている。まもなく、巨大な規模の竹林寺が再び五台山にその姿を現す。そのとき、人々は円仁法師が描いたかつての盛況を体験することができるだろう。(文=劉世昭 写真=樊文珍 呉傑強 劉世昭)
人民中国インターンネット版 2009年11月
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