遼・金王朝 千年の時をこえて 第9回

 

宋王朝が中国の南部で栄えていた頃、中国北方はモンゴル系の契丹人によって建てられた遼(907~1125年)と東北部から興ったツングース系女真族の金(1115~1234年)の支配するところとなっていた。これら両王朝の時代に北京は初めて国都となったのである。新連載では、私が長い時間をかけて探し求めた遼・金遺跡にまつわるエピソードを、写真とともにお届けする。

 

遼の遺跡から音楽が流れる

 

遼代蕭夫人墓陵の石扉に描かれた11人の契丹楽士中3人のクローズアップ。内蒙古巴林左旗にて1989年に発見。上京博物館所蔵
遼王朝の文化遺産の重要なものの1つに、音楽と舞踊の伝統を目に見える形で残していることが挙げられる。遼代の塔の壁面に彫られた浮像や墓陵の壁画から、契丹の社会で音楽が支配階級のみならず、一般庶民にとってもいかに生活から切り離せないものであったかが分かる。当時、音楽は神を祭る儀式、仏教行事に加え、公式宴会のような政治的集会の際や戦い、狩猟に先立って演奏された。私が、この種の彫像を初めて目にしたのは、北京の西にある雲居寺北塔壁画の40を超す楽士や舞人の浮彫であった。塔の周囲を回りながら、これらの彫刻を眺めていると、あたかも眼前で祭りが進行中といった風情であった。私は楽器の醸し出す旋律やリズムが聞こえるように感じ、またその楽しそうな様子を共感することができた。

遼の見事な文化遺産のもう1つの例を、私は今年6月、「契丹の故地を訪ねる旅」で見ることができた。それは内蒙古の巴林左旗にある蕭夫人墓陵の石の扉である。現在は上京博物館に展示されており、11人の楽士を間近に見ることができる。彼らは契丹帽をかぶり腰帯つきの長袍を着、長靴を履いている。手にしている楽器は太鼓、横笛、鐘、拍板、琵琶、排簫、笙、篳篥などで、この多彩さからも上京の豊かな音楽文化がしのばれる。

雲居寺の遼代北塔に描かれている楽士たち。北京市房山区

2003年に北京北の河北省宣化を訪れたとき、死者へ捧げた壁画について多くのことを学んだ。ある墓陵の壁画には11人の宮廷楽士と1人の踊り手が描かれている。楽士たちは正装し、吹奏楽器を奏で、琵琶や鼓を演奏しており、漢王朝の宮廷楽団のように見えるところから、おそらく正式晩餐会で演奏しているのであろう。さらに遼寧省阜新市街の近くにある遼墓の壁画には、2つの大太鼓が描かれているが、これらは明らかに権力を誇示するために使われたものと思われる。

「北方中国のシルクロード」に発した音楽の影響は、楽士たちが菩薩のような天人の姿をしている彫刻の中にはっきりと示されている。天津市薊県にある白塔の傍らの石柱に施された美しい彫刻は、その代表的なものと言えよう。

私は菩薩のような楽士が琴を弾いている姿が、ことのほか気に入っている。遼寧省朝陽市の北塔の壁画にみられる笙を吹いている天人は、明らかにインドのものと思われる服に身を包んでいる。その他、いろいろな地方で、契丹のシャマンとおぼしき楽士が、鈴を振り鳴らしている彫刻を見出すことができるが、彼らの祖先の魂を今なお感じさせるものがある。

遼代の「音楽花塔」。河北省涞水県龍宮山。国家重要文化財に指定
最近私は、北京から南へ車で2時間程のところにある河北省涞水県郊外の龍宮山山上に立つ遼代の塔を見に出かけた。この塔が「音楽花塔」と呼ばれている理由を知りたかったからである。河北大学の学生70名とともにこの山を登ったときは、1時間半の行程の間中、歌声が絶えることがなかった。山頂近くの高台にある慶化寺に着くと、寺の修復を祝う舞い手と楽士たちの歓迎を受けた。隆法住職は花形の塔に私達を案内し、この地に伝わる音楽の歴史を語ってくれた。この八面体の塔は、11世紀に僧侶によって建てられたもので、現在、国家重要文化財として保護されている。塔の表面の龕に彫られた鼓手、笛吹き、竪琴弾きたちは皆、音楽が民間に広まった秦、漢の時代の衣服をまとっている。

遼墓陵壁画(1116年)に描かれた11人の楽士と踊り手。河北省宣化区張家墓陵(出典:『文物』1975年第8期)

土地の伝説によれば、この山は5000年も前に、黄帝の楽士長伶倫が住んだところとして、中国の音楽の発祥地とされている由。古代の音楽は、次第に宮廷音楽と宗教音楽、そして民間音楽へと別々に流れ伝わっていく。

後代になっても、音楽は様々な民族に大きな影響を与えたが、中国北部に居住していた契丹族もその例外ではなかった。今でも尚、「楽平」や「高楽」という音楽にちなんだ名の村では、古代の音楽を継承している。村人たちは、伶倫の名を取った山(伶倫山、現在の龍宮山)に記念堂を建立し、この音楽の始祖に捧げており、陰暦の正月3日には、伶倫と古代音楽を記念する盛大な祭礼が催される。

近くで「音楽花塔」を眺めると、遼時代の僧たちが伶倫の魂に耳を傾け、遼独自の音楽に加え、漢族風に影響を受けたもの、さらに仏教とともに広まった音楽を楽しんだであろうことが彷彿とされる。さまざまな要素が融け合って貴重な音楽文化が伝承されてきた。遼王朝の時代を通して活躍した楽士たちの音楽は、今なお各地の遺跡で流れ、生き続けている。

 

人民中国インターネット版 2009年11月

 

 

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