高原=文・イラスト 馮進=写真
上海の普陀区、静安区を南北に走る常徳路は全長2800メートルの道で、その両側には典型的な石庫門住宅(中洋折衷の上海独特の建築様式)と新型の里弄(路地)が並んでいる。著名な静安寺に参拝する際にこの道を通る観光客は少なくないが、中国近代史上の多くの文化人がかつてここで繰り広げた心揺さぶる愛憎劇はあまり知られていない。
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作家・張愛玲 | 常徳公寓と張愛玲
張愛玲は、もっとも「上海気質」を備えた作家の一人といってもいいだろう。1940年代、多くの文化人たちが祖国の危急を救おうと奮って革命的文章を書いているとき、彼女は都市に暮らす人々の些細なこと、微妙な愛情の世界を描くことにこだわった。彼女がかつて暮らしていたマンション・常徳公寓は、常徳路がまるで彼女のために存在していたかのように、ひときわきらめいた風景となっている。
2007年、張愛玲の小説を元にした映画『ラスト、コーション』が公開されてのち、これまで以上に多くの「張迷(張愛玲ファン)」がここを訪れるようになった。住民は日常生活をかき乱されてうんざりし、マンションの扉は終日ぴったりと閉ざされてしまった。ガラス越しに、警戒した表情で外を眺める門番のおばさんの姿が見えるだけである。
常徳公寓は元の名を愛丁頓公寓(エディントン・ハウス)という。このアール・デコスタイルのモダンなマンションは1930~40年代の上海において、際立ってファッショナブルな存在であり、住人の多くが西洋人あるいは上流社会の人々であった。張愛玲は1942年からこの6階の51号室に暮らし、人生のひとときの華やかな楽章を奏でたのであった。創作も、そして恋愛も、非常に激しいものであった。『赤い薔薇、白い薔薇』『金鎖記』『傾城の恋』などの名作はいずれもここで生まれた。張愛玲と胡蘭成の3年に及ぶロマンスも、ここを舞台に繰り広げられたのである。
上海の文壇においてめざましい活躍をした張愛玲だが、プライベートの生活はきわめてひっそりとしたものであった。隣人たちの邪魔をしないようにと、普段はそっと出入りし、行き来があるのもごく少数の友人に限られていた。彼女はかつて自分のマンションを「世の中を避けて暮らすのに最高の理想の場所」と語っていた。そしてこんな言葉も残している。
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一日中扉の閉ざされている常徳公寓。かつて張愛玲が暮らしていた |
その名を慕って訪れた観光客は、常徳公寓の1階にある「千彩書坊」で、張愛玲が若いころにここで創作し、生活していた雰囲気に思いを馳せることも |
「うちのマンションは車両工場に近くて・・・・・・通りの喧騒は、6階でもことのほかはっきりと聞き取れる。まるですぐ耳元で音がしているかのように。年をとればとるほど、子供時代はだんだん遠くなっていくのに、幼いころの些細な思い出が、かえってはっきりとだんだん身近に感じられるようなもの。街の声を聴いているのが好き・・・・・・路面電車の音を聴かないと眠れない・・・・・・都市の人々の思想の背景はストライプの布のカーテンに喩えれば、その白いストライプはまさに走っている路面電車・・・・・・平行して、はっきりと、音の流れのように、潜在意識の中にこんこんと流れ込んでゆく」(『公寓生活記趣』より)
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