日本人は本当に働き蜂?
孫晶晶 常熟理工学院
私は中学生だった頃から、よく「日本人は働き蜂」という言い方えを耳にしました。また、「日本人にとって、幸福というものは、食事をさっさと終えて、再び働き始めた時」と言われるぐらいですが、実はどういう程度まで詳しくわからなかったのです。
この間、私は常熟山崎鉄工株式会社に入って通訳として実習していました。だんだん日本人との接触が増えていくにつれて、日本人の真面目さが深くわかるようになりました。例えば、機械の立会い検査をする時、材質確認、寸法検査から気密、圧力、溶接線の検査まで、小さい所でもこと細かにチェックしました。そして、日本人は仕事中に休むことはあまり好ましくないということが気付きました。一方、日本人は服装に対しても 非常に真面目です。どんな場所にどんな服を着ていくか気を配ります。特にサラリーマンは毎日シャワーを浴びて、スーツを着て、ネクタイをします。たとえ汗をかく真夏でも清潔な服を着ます。仕事中、会社の制服を着かなければならないのです。あの真面目な精神は本当に頭が下がります。
そのほかに、日本人は、商品の品質、交通ルール、人間関係の面でも比較的真面目なのです。例えば、日本人は赤信号を無視しないようにしています。また、人間関係に対して、年配者と若者、先生と生徒、上司と部下の間などの区別をはっきり分けています。お互いにあった時や別れる時、45度くらいのお辞儀をしなければなりません。
それに,日本人が日常生活の中で、「頑張る」という言葉を極頻繁に使っていることが分ってきたのです。ある時、日本語で、何かを話したいですが、どうしても話せなっかた時「頑張って」というような言葉が言われてくれました。勉強や仕事の場合だけでなく、スポーツをするときでも、よく「がんばれ」励まされたりするのです。思うに、実習していた間、日本人からのイーメールの文末などにも「頑張れ」を言い忘れません。「がんばれ」は日本人が生れつき持っているもののようです。日本社会全体も日本の国民も、いつも「頑張る」の雰囲気に包まれているようです。
ある夜、日本からのお客様と一緒に晩御飯を食べていた時、「日本人は本当に真面目で、働き蜂といってもいいようですね。」と私は感嘆しましたが、お客様は「そうですか。かつて、日本は働き蜂の国として世界で有名でしたが、最近、大きくかわってきました。まぁ、、、、、、」と返事してくれました。その通りですが、昔の日本人の仕事に対する情熱を見ると、確かに彼らのことを「働き蜂」だというのは過言ではありません。
しかし、社会全体が豊かになっていくにつれて、日本人の仕事への関心はだんだん生活の質の問題へと移っていったのです。かつて、敗戦の廃墟からいち早く立ち上がった日本の経済の大発展を支えた終身雇用制度も、最近になって変わりつつあります。自分の人生を一つの会社だけに結びつける考えはもうなくなり、ずっと会社に人生を捧げ続けることはすでに歴史とともに流れていってしまったようです。
また、現代の日本人は自分の人生価値を実現するために、転職する人が増えています。ある調査結果によると、入社後、仕事をする時間が3年未満の新入社員の辞職率が明らかに上昇しているということです。若い人たちは昔の日本人よりもっと生活の質うを重視しており、「働き蜂」はもはや若者の求める対象ではなくなってしまったようです。人々は昇給よりレジャー時間を求めるようになりました。そして、若い世代は伝統的な年功序列を打破して、自分の能力に見合う報酬を要求するようになってきたのですが、仕事の量と関係なくなったということです。
ですから、現在の21世紀に入ってから、日本の雇用制度には根本的な変化が起こりつつあり、しかも、こういう変化が今後も人々の仕事に対しての考え方に大きな影響をもたらしますね。どうも、日本人は働く意欲を失ってしまっているようです。ある調査によると、「働く意欲が低い」と答えた割合は、日本では回答者全体の41%くらいです。これは調査対象16カ国中、インドに次いで2番目のです。以上のことからして、今では、多くの日本人は前の見えない不安と激しい競争に疲れて、すっかり働く意欲を失ってしまったのです。こんな元気のない社員たちがあふれる日本の職場に、活気は戻ってくることができるかどうか心配しています。
昔の日本人は「もし私が自分の仕事を早く仕上がらなければ、同僚たちにご迷惑をかけるだろう」と思っていました。つまり、絶対に相手にご迷惑をかけずという考え方を実現するために、何をしてもずっと一生懸命に頑張り続けるようになりました。そして、集団の意識も日本人の国民性の一つです。日本人は真面目さと集団の意識を持っていただけに、ずっと努力する日本人が「働き蜂」と言われるからでしょうね。
ところが、今の若者たちは人生観と価値観が変わりつつありますから、日本人が昔の人々ほど真面目ではなくなりません。「働き蜂」はもはや若い世代の理想中のものです。
ですから、もう一度評価すれば、今の日本人は本当に「働き蜂」と言えるかどうかちょっとわからなくなりました。そういうことでしょう。
創作におけるインスピレーション
どうして「日本人は本当に働き蜂?」という文章を書くかのを聞かれれば、多分一つの国民性である真面目さを持つ日本人は現在まだ非常に真面目でしょうか?それとも、真面目でも、働き蜂という程度までに至ると言えるのでしょうか?そういう疑問をお持ちしますからだろうと思っています。
みんなの知っているように、ずっと頑張る日本人が「働き蜂」と呼ばれていたが、現在の21世紀に入ってから、日本の雇用制度には根本的な変化が起こりつつあり、日本人がやはり元のように、自分の人生を一つの会社だけに結びつけることを続けますか?それに、今の日本人は生活の質を高めるために、レジャー時間より、やはり昇給を求めるようになることを続けたいですか?そのほかに、激しい競争のもとで、やはり働く意欲がそんなに高いですか、、、、、、たぶんみんなの答えは「NO、、、いいえ、それほどじゃないんですね」と思っていますからです。
ところが、今の日本人の真面目さが以前より多少弱くなりまして、働き蜂という程度にも至らなくて、日本人は日本人ですから、仕事、服、人間関係、商品の品質などの面では、やはり十分に真面目なのです。
実習していた間、自分の目で見たように、立会検査していた時、小さいところでも事細かにチェックしました。
働き蜂と呼ばれなくても、ほかの国の人より、相当真面目なのです。ですから、「日本人は本当に働き蜂?」という文章を書いて、日本人の心の中で、一つの国民性であった真面目さが完全に失わないということを表したいと思っています。
受賞の感想
まず、今度の機会をお借りしまして、人民中国雑誌社及び日本科学協会の皆様に、心から感謝の意を表します。
自分の作文が入賞できて、非常に嬉しいですが、実はなかなか思わなかったことですね。
国慶節の前、先生は「、、、笹川杯作文コンテストがありますよ。皆さん、日本を感知するという主題をめぐって、日本語で2000字の作文を書いてみてください。、、、」と言ってくれましたが、みんなはやはりやめようと思っていただろう。なぜかというと、「全国では、私たちより日本語の上手な人がいっぱいですから、きっと入賞できないんですよ、、、」とみんな言いました。私もそう思っていました。
でも、先生に励まれて、ついに「日本人は本当に働き蜂?」という文章を書いてみました。たぶんそれほど素晴らしくないと思っていますけれども、自分がたくさんの資料を集めて、心をこめて、この文章を完成しました。
今度の経験を通じて、いろいろなことが分かるようになりました。まず、どんなことでも、参加することが一番大事です。一生懸命にやれば、ぜひ相応の知識を身に付けることができると思っています。第二、何にも向き合っても、自信を持って、力を尽くしてすれば、成功できなくても、後悔しないと思っています。
たぶんみんなは以上の言い方が分かっていますけれども、実際自分の番になった時、「自分ができるかどうか?ぜひ大丈夫ですか?」などの疑問を持っているだろうと思っています。
ですから、前へ進む途中、いくら困難があっても、勇気を出して、続けて行ってみて下さい。人生途中の風景がどんなにすばらしいかというのを分かってきると同時に、自分が成長していきますと思っています。では、一緒に頑張りましょう。
人民中国インターネット版
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