人と人のつながり
黄満龍 三江学院
私が子供だった頃、両親の仕事の関係でずっと日本に住んでいた。其の頃の両親は何時も仕事で忙しく、子供だった私達の面倒を見る時間なんかは殆どなかった。
私には姉が一人いる。だから経済的にそれほど豊かではなかった。両親は私達が安心して学校に行けるようにと、朝も晩も働いていたので、普段家には私と姉しかいなかった。だから洗濯、掃除、ご飯の支度とかは全部私達子どもでやらなければならなかった。その時の私はまだ小学一年生、姉も三年生だった。
私と姉は小さい時から怖がりやで、夜と暗い所が一番嫌いだった。いつも夜になると二人で手を繋いで父母の帰りを待った。幼い私がいつも泣くので、姉は私が泣かないようによく物語を読んでくれた。でも私は物語が全く頭の中に入ってこなかった。それは、私の手を握っていた姉の手が振るえていたからだ。実は、姉は私よりも夜を恐がった。でも姉として自分の弱所を弟の私には見せたくなかったのだ。私と姉は何時もこうやって翌朝を迎えてきた。今思い出すと、その時は本当に辛い思いをした。何度涙を流したか数え切れないほどだ。
私と姉は学校が大好きだった。学校に行けば寂しい思いをしなくてすむと分かっていたからかもしれない。私は学校で友達と遊ぶのが好きだった、その頃の私は日本語があまり喋べれなくて、自分の考えや思いを相手に伝えるのに苦労していた、でも日本の友達はそんな私を仲間外れにしないで、物を指差して日本語でどう言うかを丁寧に教えながら遊んでくれた。彼らと遊んでいると時間の流れも寂しい思いも全部忘れてしまったような気がする。姉もきっとそうに違いない。
私には聞きたくない音があった、それは一日の授業が終わるチャイムだ。そのチャイムの音は本当に大嫌いだった。今でもそのチャイムの音を思い出すと、辛かった昔が思い出されて切ない。
学校が終わると友達と遊ぶのが小学生の日課なのに、私は行けなかった。家に帰ってから掃除、洗濯、そして八百屋で買い物をして夕ご飯の支度が待っていた。姉の帰宅を待って一緒に八百屋に行って野菜を買う。私達はいつも安い野菜ばかりを買った。特に、モヤシをよく買った気がする。高い野菜を買った記憶は余りない。いつも二人で下手な日本語を使って八百屋で安い野菜ばかり買うので、八百屋さんは私達兄弟の顔を覚え、「偉いね、いつも二人で買い物だね。おまけするよ!」と言って安くしてくれた。本当に好い人だった。それから姉はすぐ夕ご飯の支度にかかり、私は洗濯をする。しかし一つ困った事があった。それは私の身長だ。一年生の私の背は余りにも低く、洗濯物を戸外の竿へ掛けることが出来なかった。ご飯の支度で精一杯の姉の手を煩わせたくなかった。だから、いつも椅子の上に立って洗濯物を竿に掛けたいた。姉のご飯は見かけよりおいしく、三年生にしてはいい味だったと思う。
そして、また怖い夜がやって来た。私は姉といつものように両親の帰りを待っていた。突然ベルが鳴り、私と姉はお互いの顔を見つめ合い、両親が帰って来たと思った。急いでドアから覗いて見ると、隣りのおばさんだった。私は、何故こんな遅くによその家へ来るのかと思いながらドアを開けると、おばさんの手の上には手作りクッキーが一皿乗っていた。後で姉に聞くと、このクッキーはおばさんがわざわざ私達の為に作ってくれたもので、留守番が寂しくなったらいつでも遊びに来なさいと言ってくれたそうだ。それを聞いて、突然涙がぽろぽろと出て来て止まらなかった。姉も私の泣いている顔を見て、泣き出してしっまた。私は初めて姉の泣き顔を見た。日本に来て初めてこんなに優しくされたのだから、嬉しくて、泣かないで済むはずがなかった。
その数年後、また両親の仕事の関係で中国に帰ることになった。
子供は記憶はとても良いとよく言われるが、忘れるのも早かった。
帰国した時、長い間中国語から遠ざかっていた私は、中国語を忘れてしまっていた。でも、中国の学校でも、また色々と友達が出来て、みんな、日本の友達と同じように励ましてくれた。その時も本当に嬉しかった。
現在、私は大学生活を楽しんでいるが、「あの時かけてもらった一言」があって、今の私が居るのだと痛感している。そして、あの時の一言に応えるためにも、しっかりと日本語をマスターして、日中友好の為に力を尽くしたいと思う。
私は今までの経験から、人と人というものはお互いに助け合い励まし合うもので、この共存という環を離れて一人では生きていけないということを知った。そして確信した。人間は、一番辛い時、悲しい時の一声の声掛けで、心から喜び、感謝して、その人を一生忘れないという生き物だと。
選評コメント
日本で暮らしていたころの思い出が感動的に描かれている。文章は平易で、筆の運びは滑らかだ。何気ない優しさの大切さが、筆者の体験を通じて伝わってくる。
創作におけるインスピレーション
この作文は人と人のつながりを描いた物で、ものすごく小さな出来事でも人と人により深い印象を与えてくれ、そして人情と言う物を感じ取れるように書きました。人に一番欠けないのが何か、そして前へ進むには何が必要となるのか、人が必ず忘れては行けない物とは何か、それを皆様に読む時に感じ取って欲しいのです。この作文は生活の中での出来事をそのままに描いたものです。其の方が読者にとっても読みやすく、読者の心を引きつける事が出来ると思っていたからです。もし私の作文を読んで、人の優しさ、それを理解し、助け、励まし合って生きて行く事の大事さを感じ取ってくれれば、私の作文はそれで成功な作文だと、心から思えます。そして、この作文で人と人のつながりの大切さが国と国とものつながりにもつながる事を願っております。人一人では生きて行けない、それは国もおなじだとおもいます、国も一人では発展するのは難しい、でも国と国が兄弟、友人の様に助け合い、理解し、励まし合えば今の世界が今よりもずっと良くなると私は信じています。
受賞の感想
最初は先生から私が作文大開の優勝奨だと言われて何だか本当に信じられませんでした、私は何度も何度も先生に繰り返し、本当?本当に?と聞きました。そして先生がおめでとう、本当だ!と言った時、もう其の時頭の中で何を考えていかのか、今になって何も思え出せません。人と言う物は本当に不思議な生き物で、嬉しすぎたら冷静感をなくし、悲しすぎても同じく冷静感を失くしてしまう。この作文はすごく華麗な言葉を使って書いた物ではないですが、心を込め、私の思いを伝えられるように一生懸命書いた物です。
改めて、この優勝奨をもらえるなんて私は本当に光栄に思い、感謝しております。そして、このコンクールに参加する機会を与えてくれた先生達にも心から感謝しております。それから審判の皆様に私の作文を認めて頂いて私の胸は今喜びに溢れております。私は今後この奨を励ましととし、もっともっと頑張って自分の日本語を磨き、自分の日本語の道を極めて行きたいと思います。そしてもっともっと多くな大会に参加して、自分の知識、能力を高めていくつもりです。
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