チベットからの参拝者も
現在、五台山を訪れる観光客は年間、延べ200万人を超える。その中で仏教の信徒が占める割合はかなり大きい。多くの人はここに来る最大の願いは東、西、南、北と中央の五つの台頂で文殊菩薩を拝むことである。
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北台頂の黒龍池と無垢文殊菩薩が祀られる霊応寺 |
五台山はもともと互いにつながっており、垂直にそびえ立つ五つの美しい山の峰を指す。東台望海峰、西台掛月峰、南台錦繍峰、北台葉斗峰、中台翠岩峰である。いずれも標高3000メートル前後で、敬虔で体の丈夫な信徒のほかは、徒歩で台頂まで登り、文殊菩薩を拝める人は多くない。
清の乾隆帝(在位1736~1795年)は、何回も台頂に登って参拝しようとしたが、風雨のため一度も実現できなかったといわれる。乾隆46年(1781年)、乾隆帝は五台山の中心部に位置する黛螺頂の寺院の住職である青雲法師に対し、5年後に再び五台山を訪れるが、そのときは「台頂まで登らずに、五方の文殊菩薩を拝したい」と伝えた。
そこで、青雲法師は一人の小坊主の考えを採用した。それは、五つの台頂に祀られている文殊菩薩の塑像をそっくりまねてつくり、黛螺頂の正殿の中にまとめて安置すれば、殿内の五体の文殊像を礼拝することによって五方の文殊を拝することになるというものであった。
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知恵文殊菩薩が祀られる南台頂の普済寺 |
毎年8月、五台山では1カ月にわたり、国際仏教文化祭が催される。開眼法会などの仏事行事も同時に行なわれる |
乾隆51年(1786年)3月、乾隆帝は再び黛螺頂の寺院に来て五体の文殊像を拝した。そして大いに喜び、即興で『登黛螺頂作(黛螺頂に登りて作す)』という七言律詩を作った。その詩は石碑に刻まれ、いまでも寺内に残っている。これが、五台を巡って参詣する「朝台」を簡略化した「小朝台」の由来である。その後、黛螺頂で「小朝台」に参拝する者たちがひっきりなしにやってくるようになった。多くの参拝者たちは、1080段の石の階段を、一段あがるごとに頭を地につけて礼拝しながら、寺の山門に向かうのだ。
以前は、五つの台頂を巡るなら、台頂をつなぐ小道を歩くしかなかった。それには二日間から五日間かかったものだ。いまは、自動車道路が開通したため、車で台頂まで行けるようになった。 チベットからやって来る信徒もいる。北の台頂で出会った数人のチベット族のおばあさんたちは、霊応寺を参拝したばかりだった。言葉が通じなかったが、彼女たちは何回も「ザシデラ! ザシデラ!」と声をかけてくれたのだった。それはチベット語で、吉祥や幸運を意味しているという。
インフォメーション |
気候
春と秋 4月上旬と10月上旬、平均気温は10~20度、夜の最低気温は8~17度。 冬:10月下旬から翌年の4月上旬まで、平均気温は0~10度。
交通アクセス(北京出発)
(1) 自家用車 北京―太原―五台山、北京―大同―五台山
(2) バス 北京六里橋―五台山
(3) 鉄道 K701列車で北京駅―五台山駅。降りてからバスに乗り換える。帰る際は定期バスで五台山から五台山駅へ移動、K702列車で北京に戻る。 |
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