文・写真/王焱
北海市は、広西チワン(壮)族自治区の最南端であり、北部には湾があり、東北部が岸となり、北に海があるためこのような地名になっている。清末の光緒年間(1875~1908年)、欧米諸国は相次いでこの地を訪れ、領事館、銀行、教会、病院を設立し、この地は、中国と西洋文化が融合する場所となった。
「北海老街」は、北海市珠海路の百年近い歴史を誇る1本の通りである。全長は、1.44キロメートル、幅は9メートル、19世紀後期には、北海において、もっとも賑やかな商業地区であった。通り沿いの建物は、すべて中国と西洋の様式が組み合わされたベランダ付きの建物である。建物の1階は商店になっており、上階は住居に使う。2階は前方に突き出ており、それは長い通路の屋根となり、その下を行きかう人々は、雨と陽射しから守られる。
今日では、かつての賑やかさは失われ、建築群は老化が進み、いくつかの店舗のほかは、多くは住居になっている。けれど、その文化的な価値は次第に重視され、北海市の観光地となっている。
人民中国インターネット版 2010年1月13日
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