魯忠民=文・写真
中国西南部の雲南省にある有名な古い町、建水県の北約二キロのところに、陶器を盛んにつくっている碗窯村がある。ここでつくられる陶器は紫陶と呼ばれ、「鉄のように硬く、鏡のように明るく、打てば磬のように鳴る」と言われ、文人たちは「滇南(雲南省南部)の美しい玉」と称えた。
紫陶の製品は、「水を入れても臭くならず、花を生けても根が腐らず、茶を入れても味は馥郁として、宵越しの肴も味が変わらない」と言われる。建水の紫陶は、江蘇省の宜興陶、広西チワン族自治区の欽州陶、四川省の栄昌陶とともに「四大名陶」と称されている。
考古学の発掘調査の結果、建水からは宋代の青磁、元代の青花(染付け)、明代の粗陶、清代の紫陶が出土している。これは、建水の紫陶が、百年余り前に世に現れたとはいえ、その技法と文化に千年を超す蓄積があることを物語っている。
仙女と陶工の五彩山伝説
|
轆轤で花瓶を引いている陶工 | 碗窯村は山懐に抱かれ、村の前には綉球河がさらさらと流れている。村の家屋は東から西へうねるように並んでいて、村の背後には五彩山がそびえている。山は天然の屏風のように湾曲しており、そこには豊富な「五彩の陶土」が埋蔵されている。この陶土はきめ細かく泥状の粘土で、山から掘り出されると石のように硬くなる。こうした特徴を持つ陶土から、美しい建水の紫陶が生まれる。
こんな伝説がある。
昔、天上に暮らしていた「七仙女」という仙女が、純朴で貧しい陶工の阿郎に恋をした。仙女は密かに下界に降り、阿郎と夫婦になった。阿郎は田を耕し、仙女は機を織り、2人は仲睦まじく暮らしていた。
瞬く間に10年が経ち、このことを知った玉帝は大いに怒り、天兵に命じて仙女を捕らえさせた。仙女は涙をぬぐって別れる際に、首に巻いていた七色の虹で織ったスカーフを解き、阿郎にこう言った。「私が去った後、このスカーフが空を漂って落ちたところに行きなさい。そこで有り余る財宝を得られるでしょう」
こう言い終わると、仙女は果てしなく広がる雲海の中に消えた。阿郎が空に漂うスカーフを追いかけて建水まで来ると、スカーフは五彩山に変わった。阿郎はここに居を定め、粘土をとって陶器をつくり、柴を切って窯を焼いた。
碗窯村の住民は大半が陶磁器づくりを生業としている。村の後ろには古い窯の遺跡とわかるものが20以上あり、村の周囲十数平方キロメートルの範囲に陶磁器の破片の堆積層が分布している。村の至るところに、素焼きの鉢や甕が塀のように積み上げられている。街路は、焼き物を運ぶ大小の車がいつも行き交っている。ここは悠久の歴史を持ち、そして今なお活力に満ちた陶磁器の里なのである。
1980年、中央工芸美術学院と建水工芸美術陶廠は、初めて建水の古陶の遺跡の調査を行い、大量の宋代の青磁、元代の青花、明代の粗陶、清代の紫陶の破片を発見した。同時に、焼き物の都と言われる景徳鎮の古い窯の中から建水窯でつくられた器物が相次いで発見されたのである。
|
|
五彩山から採集した陶土 |
甕の中で液状の陶土をつくる |
|