和泉日実子 王焱=文・写真
古くからの北京の井戸水の多くは、花に与えたり野菜を洗ったりするのにしか使えない、飲料水には適さない水であった。当時、少数のおいしい水の井戸のある家では、人を雇って各家庭に水を届け、商売にしていた。飲料水の配達人たちが、木でできた水桶を積んだ二輪車を押して大通りから裏通りまで歩き回り、「甜水(おいしい水だよ)」という呼び売りの声が絶えず響き渡っていた。
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住宅街の中を電動自転車で水を運ぶ飲料水配達員。普通の自転車より、ずっと楽になった |
このような光景は時代の移り変わりとともにとっくに消え去ったが、飲料水配達という職業は数十年の沈黙の後、再び芽を吹き出した。1990年代後半から、浄化処理を経た大型ボトル入りの水が出回るようになったのである。水道水に比べて口当たりが良いだけでなく、ホットとアイスの注ぎ口のあるウォーターサーバーで、熱湯と冷水がいつでも飲めるようになっている。オフィスや一般の住宅で、瞬く間に普及し、水道水を沸かして飲む中国人の習慣に取って代わるほどの勢いである。また大型ボトル入り飲料水の配達と回収によって、若者の雇用機会も増えることになった。
西直門近くの給水ステーションの責任者である趙さんは、河南省出身である。北京に出てきて建築現場などで働いた経験がある。2001年、彼は大型ボトル入りの水が人々に歓迎されているのを見て、仲間と8000元あまりを出し合って、水を配達する会社を始めた。たった二人だけの会社だった。
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北京郊外で大型ボトル入りの飲料水を生産している工場 |
目的地につき、建物の中にボトルを運び込む配達員 |
現在、この給水ステーションにはすでに六名の従業員がいる。「毎日一人あたり少なくとも60本は配達します。一本20キロ近い重さがあり、電動自転車で一度に運べるのは三、四本、三輪車なら十本です。一カ月に配達できるのは1万3000本あまりです。一本は十数元で、コストやメーカーの利潤を差し引いたら、残りが我々の収入です」
趙さん自身も毎日配達に出かける。彼の寝床はこのステーションの中にある。「六時半に起きて、七時には出かけます。八時前には第一陣の配達が終わります。一度戻って食事をしますが、午後にはまたボトルを積んで出かけます。工事現場の仕事よりずっと疲れます。雨が降ろうと風が吹こうとさらに旧正月であろうと、顧客から電話があれば、さらに配達しなくてはなりません」
従業員の給料は1300元から1800元の間で、年末には数千元のボーナスを出す。苦労の割にはそれほど高給というわけではなく、工事現場の労働者に及ばないほどである。多くは一年足らずで辞めてしまうが、次々に新しい人がやってくる。趙さんは彼らを分析して言う。「三種類の人がやって来ます。失業した労働者、新天地を求めて地方から出てきたばかりの若者、そして起業を考えていて、自分を鍛えたいと思っている大学生です」
すでに30歳になった趙さん。身体が許すなら、さらに8、9年続けて、稼いだお金を持って故郷に帰り家を買いたいという。そのころにはきっと故郷でも大型ボトル入りの水が流行っているだろうから、またあらためてこの仕事を故郷で始められるかもしれないと趙さんは考えている。
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