文=須藤みか
街を歩けば、あそこにもここにも愛しいものがある
ものを書く仕事をしているので、上海万博という大きな国家イベントが開かれ、多くの日本人が上海に関心を寄せるこのチャンスに本を出したいと思っていました。三月下旬に、新聞・雑誌やウェブで連載コラムやエッセイをまとめた『続 上海発!中国的驚愕流儀』を上梓しました。上海の暮らしや文化、そしてビジネス周辺にまつわる出来事やエピソードを綴ったものです。
そしてもう一冊、出したいと思っていた本の企画がありました。
ここ数年、自分自身のテーマのひとつとして「上海で働く日本人」へのインタビューを続けてきました。すると当然のことながら、年齢や性別、職業、そして上海の街を初めて訪れた時期などによって、その人が「見ている上海」や「好ましいと思う上海」がずいぶんと違うのです。彼ら彼女らが話す「愛する上海」に耳を傾けながら、時に膝をたたき、時に目を見開かされ、新しい上海の顔をいくつも知ることになりました。
上海に暮らす、そんなちょっとユニークな視点を持った日本人による「偏愛的上海論」を書いてもらったら面白いのではないか。そんなふうに思って企画したのが、『上海路地裏万博』です。
「なんだか上海って、すごいんですよね」
日本に一時帰国すると、テレビや新聞の報道で知った経済成長や消費ブーム、林立する高層ビルなどを指して、上海がどんなふうにすごいのかを尋ねてくる人が少なくありません。確かに、経済成長も消費ブームも「すごい」でしょう。しかし、経済成長にばかり目を奪われがちですが、上海には語るべきもの、伝えたいものはほかにもたくさんあります。- - - 上海の街を歩けば、上海の人と触れあえば、あそこにもここにも愛しいもの、上海の真髄と言えるものがあり、また上海観光の王道だけれど意外な素顔を持つものがあります。そこには上海の人々の営みや文化、そして歴史が投影されています。
西洋と東洋、モダンとクラシック、チープとラグジュアリー…。さまざまな価値観が錯綜する上海は、「何でもありの、ごった煮的な街だよね」と言われます。その多様さを表現するなら、書き手も多様に。そして、書き手が心を奪われた上海について、モノ・場所・ヒト・コトをキーワードに自分目線で偏愛的に語り尽くしてしまえばいい。「偏愛的上海論」も多数の筆者が集まることで、その「ごった煮」具合と、変貌を続ける上海ならではのグルーヴ感を表せる。小難しい経済本でもなく、平板なガイドブックでもない、きっと、今までになかった「上海本」となり、心躍るものになるに違いない――。そんな本を私自身が読んでみたいと思ったのです。
租界建築からコスプレまで多種多様な五十のキーワードエッセイ
企画を思い立ったのが、2008年夏。方向性が定まり、出版社への提案を始めたのは2009年秋でした。出版社への提案と並行して、執筆者への打診をスタート。この人なら、○○に詳しい。あの人なら、△△について書いてもらえそう…。一人ひとりに会いながら、執筆テーマを決めていきました。まだ出版できるかどうかも分からない時点でしたが、執筆者のみなさんが「面白そうだね」「こんなテーマが書けるよ」と乗り気になってくれました。そのおかげで、出版が決まったのが年も押し迫ったクリスマスの頃にもかかわらず、万博開幕直前の四月下旬になんとか出版することができました。
こんなふうに「面白いからやろうよ」「そうだね」と賛同者が集まり、動き出し、現実にカタチになるまでのスピード感は、実に上海的と言えるかも知れません。
書き手は年齢も職業もさまざまな、上海在住者を中心とした三十一人。助っ人として、上海をこよなく愛する北京在住者や上海で暮らしたことのある日本在住者にも寄稿してもらいました。
キーワードは全部で五十本。実に種々雑多なキーワードが並んでいますが、「エネルギー」「癒し」「チープ」「ミラクル」「カルチャー」の五つをパビリオンに見立て、章立てをしています。
数奇な運命をたどったハンガリー人建築家が租界建築と上海に遺したもの。上海の都市建設と発展の屋台骨を支えるたくましい出稼ぎ労働者。「小籠包」よりも何よりも上海っ子が支持する食べ物、生煎饅頭。日本のテレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」がブレイクする中国的嫁姑事情。中国的に進化した日本発サブカルチャーのCOSPLAY…。「すごい」のは、経済成長や高層ビルだけではないのです。
中国初心者の方々から中国ベテラン組までどんな読者諸兄のツボにも必ずやハマるキーワードがあるのではないでしょうか。
タイトルの「路地裏」という言葉には、観光地をたどるガイドブックを見ながらの旅では「見過ごしてしまいがちな上海」という意味を込めました。そびえ立つ近未来的な高層建築から一転路地に目を向ければ、上海の別の顔が幾通りも見えてきます。
そして、個別のモノ・場所・ヒト・コトを論じているようでいて、読み進んでいくとそれぞれの点と点が繋がり合い、面となっていきます。例えば、中国の新人類とされ、なにかと話題の「80後」(一九八〇年代生まれ)については特に項を立てたわけではありませんが、「人民公園」「嫁姑」「ギャラリーショップ」「インディーズバンド」「テレビ」「書店」「COSPLAY」「現代アート」「美術大学」と多くのページで少しずつ触れられています。行きつ戻りつ読んで頂ければ、複層的に上海が見えてくるはずです。
路地裏の「もうひとつの万博」から、上海という街や人々の素顔を「紙上体感」して頂ければと思っています。また、モノを売るなら、その街の人たちを知るべし。上海の人たちの肉声をふんだんに盛り込んでいるのも本書の特徴です。旅エッセイのように見えますが、中国ビジネスを始めようとされる方々には、上海の人たちの等身大の姿から中国市場攻略のヒントも感じとって頂けるのではないかと思います。
人民中国インターネット版 2010年4月30日
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