文=陳言
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陳言
コラムニスト、『中国新聞週刊』主筆。
1960年に生まれ、1982年に南京大学卒。中日経済関係についての記事、著書が多数。 | 世界最高の展望台の一つである上海環球金融センターの百階では、近くの黄浦江から遠く眺めて、長江がかすかに見えてくる。しかし、ここに来た多くの観光客は、長江を見るよりもむしろ黄浦江から長江まで延々と続く建物を眺め、数え切れない建物の合間に流れて行く車の列から、上海や近代都市のイメージを描いている。
東京六本木ヒルズの上から、東京を眺める時には、このような感じがわいてこない。もちろん東京では高層ビルは数え切れない。しかし、六本木ヒルズから眺める時には、高層ビルの近辺に一つ一つの建物それ自体は小さく、道路が細いため、写真家の荒木経惟氏は、廃墟の上に高層ビルが立っているように見えたという。
上海ではそうではない。百一階で四百九十二メートルの高さを誇っている金融センターの近くには、三十階建ての団地建物は、一様に赤い屋根を持っている。地下鉄の出入口まで緑地が続き、片道四車線からなる道路は緩やかなカーブを描いて、黄浦江の上にかかった大橋を跨っていく。
「一九九〇年に浦東開発が決まったが、その三年後に森ビルはここに進出することを決め、九八年に上海森茂国際大廈(現在のHSBCタワー)を作り、二〇〇八年にこの環球金融センターを作り出した」と、森大廈(上海)有限公司の岸満帆広報部長は言う。金融センターには数枚の空中写真があった。九四年時点に二、三階建ての労働者住宅ばかりだった陸家嘴地区は、今は緑地と金融センターに変貌している。周辺には銀行などの高層ビルも高さを競い合っている。
上海は浦東によって変貌した。北京や広州も変化しており、内陸部の武漢、成都もまた激変した。いままでの二十年間に中国は都市化のスピードを上げ、浦東はまたその典型として現れている。万博は浦東に四平方キロメートルほどの展示地域を設け、川の西にある一平方キロメートルあまりの展示地域よりずっと大きい。浦東を通じて中国都市化が見えてくる。
万博やディズニーランドなどが進出する浦東
上海環球金融センターや上海銀行など多くの銀行の超高層ビルは、高さで黄浦江沿い対岸の古いビルを圧倒している。突然平地からそびえ立ったこれらの建物は、今までの二十年間に出来たものだった。これからの浦東は、万博、ディズニーランドなどで新たな変化をもたらそうとしている。
二十年前の一九九〇年四月十八日に、当時の総理であった李鵬氏は、「浦東で経済技術開発区を作り、経済特別区の政策をここでも実施する」と、浦東新区を作る決意を表した。その時の浦東では年間GDPは六十億元だった。本当に浦東へ投資に行った企業もそう多くはなかった。
「一九九三年に我々は浦東開発の検討に着手し、翌年事業決定に至った」と岸部長は森ビルがいち早く浦東の開発に乗り出したことを今も誇りと思っている。九八年に上海森茂を完成し、周りには銀行系のビルが続々と登場した。浦東の経済に活気が溢れ、二〇〇〇年にはGDPが一千億元を突破した。その後は加速度的に増加し、二〇〇四年に二〇〇〇億元に躍進して、二〇〇八年には三千億元を突破した。
上海生まれの会社員の潘さん(三十六歳)は、浦東が上海の人に見下された過去も忘れつつあると思う。二十年前に浦東は上海地元の人にとっては上海の枠に入れてもらえなかった。経済技術開発区になってからも積極的に浦東に移りたいと思った人も非常に少なかった。最先端の金融企業が浦東に集まり、二年に一つ黄浦江をまたがる大橋が作られていき、地下鉄や高速道路が浦東と上海を緊密につなげてから、浦東に住んでいること自体は、スマートな上海人というイメージさえあると潘さんは感じる。
これからは浦東は金融センターから文化センターや新産業の基地へと多様化していこうとしている。万博はここを中心に開き、二〇〇九年十一月四日に上海ディズニーランドもまたここで建設することは国の許可を得た。あまり遠く離れていない浦東空港の近くに飛行機の組み立て工場もこれから作るという。
万博を契機にほぼ完成したインフラ
上海の地下鉄は目まぐるしく拡張されてきた。五年前に長さが百二十五キロメートルの地下鉄は、今は五百十キロに延長された。市内の高速道路、黄浦江をまたがる大橋などを入れると、「上海はこれから十五年、ひいては二十年間のインフラ投資をぜんぶやり終わったのではないか」と上海財経大学万博研究院の陳信康院長は言う。
上海の面積は、一九六〇年では百四十平方キロメートルだったが、九〇年の七百四十八平方キロメートルになり、浦東の開発などによって二〇〇八年にはついに二千七百平方キロメートルまで増大され、ほぼ五十年で二十倍と増加した。「これ以上の増加はもうありえないのではないか」と上海市政府企画委員の鄭祖安氏は推測する。市内ではすでに再開発するために解体すべき大規模の老朽住宅はあまりなく、新規住宅の建設地もなかなか見つからなくなった。「上海は一休みして、既存のインフラを増強したりしてやっていくしかないだろう」と鄭氏は付け加える。万博という国際イベントを契機にして都市開発の速度を速め、その後にしばらく安定成長にシフトする。このような都市開発パターンは、オリンピックを開催した北京からでも見える。それが一段落してから、都市の文化や生活水準を高めて行くことへとシフトされるだろうと鄭氏などの専門家は見ている。
ゆとりを持っている新しいビジョンは、これから浦東から出てくるかもしれない。四月に上海環球金融センターの芝生には四つのカタツムリの彫刻が設置された。青々とした芝生にゆっくりと移動していこうとしているように見えるカタツムリは、高度成長から成熟へ、スピードの追求から文化、暮らしの質へシフトすることを物語っているように思われる。二十年の高度成長を遂げた浦東はその段階にすでに来ている。
人民中国インターネット版 2010年5月3日
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