記者=孫玲
フランスの美食家(アンテルム・ブリア・サヴァラン)は「新しい食品を発見することは、人類の幸福に対して、ひとつの新しい星を見つける以上の役割がある」と語っている。1893年に米国で開催されたシカゴ万博はコロンブスのアメリカ大陸発見400周年を記念するのが目的ではあったが、その影響はとても大きく、なかでも展示されたいくつかの食品は当時「美食の典型」ともてはやされた。
NO1 ポップコーン
この「ポップコーン」は特別な紅いケシのような色のトウモロコシ、同様な紅い色の糖蜜、落花生を調合してつくられたものだ。1893年、アメリカ人はこの食品をシカゴ万博で出品したが、すぐに受け入れられ、たいへんな人気を博した。1896年、リコハイムの弟のルイスがセールスマンにこの商品を紹介するにあたって、「That’s Cracker-Jack!(これはよい品です!)」と大声で叫んだ。大声で叫んだ「Cracker-Jack」がこの美味なポップコーンの商標になったのである。1908年の流行歌、「わたしを野球に連れてって」はこのクラッカー・ジャックをいっそう「美食の典型」にした。この歌は繰り返し「私にピーナッツとクラッカー・ジャックを買ってよ」と歌っている。いまでは、売店、映画館、ショッピングモールなどあらゆる場所でいつでもこのスナック菓子を買うことができる。
NO2 ブルーリボンビール
ベストビールはかつて1876年展覧会と1878年パリ世界交易会上で金賞を獲得した。19世紀の80年代末、ビールの賞味期限が切れて風味が落ちる問題を解決するため、ベスト会社は高純度の優良品質の原料を使用することにし、堅牢なボトルに瓶詰めすることに決めた。そしてボトルネックには一本の藍い絹のリボンを結んだ。意外にもブルーリボンのビールはアメリカ市場で大歓迎を受けた。1893年の万博会場では、人々はすでにその最初の名前を忘れてしまったため、愛称は「ブルーリボンビール」となり、その名で呼ばれるようになった。1895年、ベストビール会社は名称を「ブルーリボン」と決定し、商標ラベルに「ブルーリボン」の一語を加えた。以来「ブルーリボンビール」として世に送り出され、ずっと衰退することなく愛飲されている。現在それは中国での販売量第一の外国ビールのブランドでもある。
NO3 オートミール
十九世紀の九十年代、ケロッグ一家の二人の兄弟は穀物を原料とする食品の開発に力を尽くした。兄のジョン・ケロッグは、ある健康療養所の管理者であった。ある日、療養所では病人のために麦類の食品を用意したが、皆の食事の時間を間違えてしまい、そこで療養所ではできあがった麦類食品をローラーを用い、麺をつくるようにして粉砕した。
意外なことに、挽いて出来上がった物はいつもどおりの大きな平たい生地ではなく、とても薄くて小さなスライス片だった。兄弟二人はこれらの小さなスライス片を火であぶって、試しに少し食べてみた。すがすがしい口当たりで味も上々だった。これが新しくておいしいオートミールの発見である。1893年のシカゴ万博会場で、ケロッグ兄弟は来場者にこの食品を試食してもらい、人々の認可を得ることができた。今日では、オートミールは家庭での栄養価の高い朝食であり、必需品になっている。
NO4 矢印のチューインガム
1891年春、29歳のウィリアム・リグレーは32ドルを懐に米国フィラデルフィアからシカゴに来て、彼の創業の人生をスタートさせた。「リグレー」石鹸の販売から、ソーダ粉の宅配まで、さらにはソーダ粉にチューイングガム二つをおまけに添えて販売した。ところが、このおまけのチューイングガムのほうが人々の心をとらえてしまったことにリグレーは気付いたのである。そこで彼は時を逃さずに即断して、1893年に万博会場で「黄色い矢」のチューイングガムを積極的に売り出し、来場者に大歓迎された。
1893年の年末「白い矢のチューインガム」もすぐに売り出され、「矢のチューイングガム」を噛むのが一種のファッションにもなった。現在、矢印のチューイングガムは世界に十九の工場を持っていて、世界最大のチューイングガムの生産と販売が行われている。
人民中国インターネット版 2010年5月27日
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