文化上海へのシフト  
 

陳言=文

陳言

コラムニスト、『中国新聞週刊』主筆。

1960年に生まれ、1982年に南京大学卒。中日経済関係についての記事、著書が多数。

テレビタワーや金融センターなど高層ビルが集中する陸家嘴を歩き、また外灘(バンド)を散策すると、上海の建物は大阪と比べてまったく遜色ないと思われる。グルメの上海は、食事の面でもまた食い倒れの大阪に負けていない。ゆったりと流れる黄浦江畔の高層ビルにあるレストランで世界各国の料理を賞味しながら、往来する貨物船、流れていく車を見て、「近代化」を満喫することができる。

ただ、大阪からはお笑いなどが日本全国に発信されるが、上海から全中国に発信される文化となると、まだまだ少ない。都市の歴史が千年を超える上海近辺の蘇州、無錫、杭州などと比べて、上海はここ200年も満たないうちに発展してきたもので、伝統文化の香りをここで嗅ぎ出そうとすれば、そもそも難しい。また、近代文化の象徴である文学、思想・哲学、音楽、ファッションなどは、上海を中心に全中国に流れていったのか、さらには最新の工業製品は、この上海から全中国、また全世界に流れていったのかといえば、それもよくわからない。

むしろ「より良い生活」を謳う上海万博が、この都市を文化へとシフトしていく契機を作っているといえよう。

十分すぎるほどの箱物建設

浦東の陸家嘴だけ見れば、建物が密集しており、土地がきわめて不足しているように見えるが、ここにはディズニーランドや飛行機工場の建設も計画に織り込まれており、近隣区の合併によってどんどん面積を広げている。

上海総合保税区、上海港沿いの産業地区、陸家嘴を中心とする金融センター、また加工地区、ディズニーランドを中心とするレジャー地区などなどの区域の設定が、浦東では考えられている。すでに出来あがった陸家嘴金融センターとこれから作っていくディズニーランドを除いて、産業基地としての浦東の位置づけはとてもはっきりしている。

上海市政府は「二度目の創業」と呼ぶが、天津浜海新区、深圳特区の変化をにらみながら、20年の月日が経った浦東では今後同時にいくつかの新区を設立することによって、経済成長を保っていこうとしている。

評論家の胡怡琳氏は、「2001年に、上海の第三次産業の比率は初めて五割の大台を超えたが、その後はあまり成長を見せず、2009年になっても六割台を突破できなかった」と嘆く。しかも、「2001年に七大産業の同時発展の青写真を上海市は描いたが、結局、不動産だけが突出して大きな発展を遂げたが、ほかの六大産業はそれほど強い競争力を持つことができなかった」と胡氏は付け加える。第三次産業の発展が遅れる中で、第二次産業の発展も結局は、箱物の建設が優先されたと思われる。

「海派清口」という独特な上海漫談を確立した周立波さん

上海の旧市街は、多く解体され、かわって新しい高層マンションが雨後の筍のように出来ている。古い上海住民にとっては、子供のころの記憶の風景はすっかり消え、新しい環境に親近感はない。一方、ほかの地方から来た新しい上海住民は、ここの方言がわからず、新しいマンションに住んでいて、地域社会の一員にはなりにくい。「新上海人」は、こうした環境の中では形成されにくい。

上海はますます新しい文化が必要になってきた。浦東の金融センターやディズニーランドのような遊園地などは、上海の第三次産業の比率を高めるが、文化の再建がより重要になっている。

消費し切った80年前の上海文化

上海ではめまぐるしいほどの文化祭り、芸術祭り、サーカスなどの公演がある。世界各地から芸術家たちが、上海万博を前にすでにここに集まり、市民に世界文化を開示してきた。しかし、上海からの発信はどれほどあっただろうか。文化批評家の朱大可氏は、上海は「文化がからっぽのお城だ」と見ている。結局、祭りが終わると上海には何も残らない。

1920年代から40年代まで、上海と言えば、文学者の魯迅、巴金、張愛玲らがいた。またチャイナ・ドレス、ピアノ、プラタナスの並木や国内外の憧れのファッション、器具など誇れるものがいろいろあった。

しかし、80年前の文化は現在ほとんど消費し切り、新しい上海文化はそれほど生まれてこなく、「上海は文化資源が乏しい都市になってしまった」と朱氏は言う。

余秋雨、衛慧、韓寒の作品は、中国ではそれなりの影響があったが、国外でも注目されたかといえば、80年前の魯迅らの批評家、小説家と比べると、さほどでもない。時の経過につれて上海の文化人は衰えてしまう。余秋雨は、中国文明、世界文化について多く発言してきたが、流行の本を出してから、すぐテレビに出て、歌合戦の審査員になると、徐々に文明論からは遠く離れていった。小説家の衛慧の作品は、日本語にも翻訳されてはいるが、それは中国文学の代表とまで評価されることはない。同じく韓寒は、数多くの作品を公表したが、ほんとうに歴史の検証に耐えられるものがあっただろうか。音楽の世界でも上海から世界に羽ばたくアーティストは、すぐに名前をあげられる人はいない。

テレビの番組に出て、すっかり有名になった趙本山さんは、東北の出身であるが、上海からは、趙さんほど有名な芸能人は出ていない。周立波さんの上海漫談は、このところテレビにも出て、独特のしゃべり方、ユニークな内容などで北方の人も引き付けているが、中国全体に影響を与えていくのにはまだ時間がかかる。

上海万博は、けっして建物だけを上海などの市民に展示したわけではない。むしろ世界の文化が半年間を通してここで長く展示されている。これを契機に上海は文化へのシフトを明確にしていくと思われる。

 

人民中国インターネット版 2010年6月4日

 

 
 
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