子どもたちの笑顔あふれる万博に  
 

中国福利会少年宮小小伙伴芸術団団長陳白樺氏に聞く

何晶 龔海瑩=聞き手

4月30日夜、上海万博開幕式の舞台上に一群の子どもたちがいた。視覚障害者のテノール歌手アンドレア・ボチェッリさんの傍らに立ち、谷村新司さんの『昴』の歌の中の「さんざめく名も無き星たちよ」を演じた彼女たちこそ、中国福利会少年宮の「小伙伴芸術団」(以下は「小伙伴」と略す)の小団員たちである。

子どもたちは、真心のこもった笑顔と愉快なダンスで、上海万博の誘致活動から、万博を迎えるまでの八年間、ずっと万博公演の舞台上にあった。

中国福利会少年宮小小伙伴芸術団団長の陳白樺さんは、子供たちと共に万博の立候補から開始までつぶさに見てきた

宋慶齢はかつて、「私たちはすでにひとつの橋を見つけました。環境、種族、宗教や政党の相違を橋渡しする。この橋こそ子ども――私たちの子どもたちです」と話したことがある。これは彼女が自ら創設した中国福利会少年宮に関する初志でもあるはずだ。

上海延安西路に位置する中国福利会少年宮、ここから育った子どもは数え切れない。前国家副主席の曽慶紅氏もかつて朗読グループの一員であったし、画家の陳逸飛はここから「巨匠」への夢を育み始めた。「蝶々夫人」ことソプラノ歌手黄英も「蝶」になるため最初の脱皮を始めたのである……。

そして今、少年宮「小伙伴(小さな仲間)」の小さな出演者たちは万博と切っても切れない縁で結ばれている。小さな出演者たちは、年齢は低いが、けいこはとても真剣、どのけいこも本番と見なし本当の演技を見せる。開幕式出演の直前、先生方は何度も繰り返し彼らに強調する、「これが本当に最後の一回、本番の演技ですよ」と。でも、彼らのこれからの素晴らしい人生において、それは絶対に最後の一回の演技ではない。

万博はすでに、この子たちのきらきらと輝く笑顔の中でうるわしく開幕したが、さらにより多くの子どもたちの笑顔の中で融合していくことが期待されている。

――万博誘致時期から、万博を迎えるまで、そして開幕後までの八年間、小伙伴芸術団と万博には深い縁があります。万博に関連した多くの催しへの参加に比べて、今回の上海万博開幕式での上演は、さらに心に感じるものがありますか?

「小伙伴」と万博の関係は二〇〇二年にさかのぼれます。中国の万博開催申請代表団が博覧会国際事務局第百三十一回代表大会で立候補演説を行うのに合わせて、「小伙伴」の二十六人の子どもたちが上海の誘致公演のためパリに赴き、シャンゼリゼ劇場での公演に参加しました。ここから「小伙伴」と万博は深い縁で結ばれ、また万博も子どもたちの心の奥底に夢の種を植え付けました。

2002年6月、万博立候補時の公演で、当時の国務委員・呉儀氏(中央)と記念撮影

万博の各進行過程に、「小伙伴」は強い関心を持ち積極的にかかわってきました。二〇〇二年の「中国の誇り」という上海市万博誘致成功記念芸能公演から二〇〇三年の上海万博誘致成功一周年芸能公演、二〇〇四年シンボルマーク発表祝賀芸能公演から「吉祥中国」という上海万博マスコット発表芸能公演、二〇〇八年スペイン・サラゴサ「上海万博推薦紹介週間」から万博カウントダウン百日芸能公演まで、「小伙伴」は上海万博の誘致、準備、開始まで万博すべて過程の「証人」といえるのです。

四月三十日夜の上海万博開幕式の公演まで、「小伙伴」はこの偉大な時刻に自らかかわり証人になったことに、強い感動とこの上ない誇りを感じます。この期間、先生と子どもたちは多くの汗を流し、心のありったけを注いできましたし、保護者のみなさんも最大の理解と支持を与えてくれました。今、この過程での困難と苦しみを振り返ると、すべて価値のあるものだったと思います。

――上海万博開幕式の小さな出演者の選抜プロセスはきわめて厳しいものでした。小伙伴芸術団は今回百三十名の団員を開幕式の芸能公演に参加させ、もっとも参加者が多い団体となりました。リハーサルと公演のプロセスの中で、困難に直面したことはありませんか?

出演者は開幕式の監督グループが選びました。二十人ごとに演技と自己紹介を行いましたが、最後に選ばれたのはみなかなり年齢が下の団員たちでした。

けいこ段階では確かに多くの困難に直面しました。三月五日から二十一日まで正式に万博文化センターでけいこを行いました、この期間、舞台げいこ、合同リハーサル、本番リハーサルで修正を繰り返したため、最終的に三十数回演じたことになります。プログラムはその場の効果やトップの意見から絶えず修正がなされ、大きな修正は二十回にも及びました。小さなディテールの変更はほとんど毎日のように行われ、ほとんどいつも熟練―変更―再熟練―再変更と進みましたが、こうした「臨場応変」の対応は、アマチュアとしてダンスを学んでいる子どもたちにはとても難しいことでした。

小さな子どもたちには、二カ月にわたる長期の練習の中で学習、休息、練習という三つの時間のバランスを取るのはたいへん難しいことでした。毎日、練習をいったん始めれば何時間にも及びます。ある子は不注意から怪我をしてしまいましたが、応急手当をしてすぐに練習に復帰しました。別な子はセ氏三九度の熱を出しましたが、病院で点滴を打っただけで直ちに本けいこに戻ったのです。少なからぬ子どもたちが、練習の合間の休憩時間に寸暇を惜しんで学校の勉強の復習に取り組んでいました。よく練習が深夜まで及ぶことがありましたが、子どもたちは翌朝早くから学校の勉強に集中しました。「小伙伴」の中には李小鳳という米国の少女がいましたが、中国福利会の王禄寧書記が彼女に疲れていないかと尋ねたところ、「疲れていますが、とても楽しいです。だって万博のこんなきれいな舞台で演技できるんですから……」と答えたものです。

――開幕式の芸能公演の中で、小伙伴芸術団の小さな出演者朱鄒瑜ちゃんと視覚障害者の歌手ボチェッリさんによるステージ上のおおらかな表現は広く好評を得ました。しかし、実は彼女は本番四日前になって「臨時指令」を受けたもので、これは普段からのいい訓練が役立ったと言うべきでしょう。子どもたちは普段からどのような訓練と指導を受けているのでしょうか?

朱ちゃんは「小伙伴」ですでに四年のダンスの訓練を受けてきました。彼女とボチェッリさんは一度しか本番リハーサルを行いませんでしたが、とても息が合って気持ちが通じ、ボチェッリさんも彼女のことを大変気に入りました。しかし、当初の人選は彼女ではなく、八歳の女の子周貝児ちゃんでした。周ちゃんは二十回以上の本番リハーサルに参加し、感情表現、動作も良いレベルに達していました。しかし、突然監督グループが、周ちゃんがボチェッリさんをサポートするには小さすぎることに気づいたのです。このため急きょ朱ちゃんとの交替を決めました。私たちは、朱ちゃんに最初から教えるしかありませんでしたが、この役は歌を歌うのでもなく、動作もほとんどないため、子どもにとってはとても難易度が高いものでした。でも、朱ちゃんの演技は素晴らしいもので、すぐに内容を理解し完全に役になりきりました。

2008年9月にはスペイン・サラゴサで公演を行った

私は、これは私たちが普段から非常に重視している「体験式教授法」と強い関係があると思います。例えば授業中に、「振ってくる雪片」「雨の降る音」「太陽が出てきた」「星たちが瞬く」などシーンを設定し、音楽を通して、子どもたちの芸術的感受性を訓練しているのです。同時に、芸術団のダンス訓練は子どもたちに良い体形・姿と協調性をもたらします。

――小伙伴芸術団は「中国の小さな大使」「上海という都市の名刺」などの名声を持ちます。これらの称号をどのように考えておられますか?

「中国の小さな大使」「上海という都市の名刺」はみな子どもたちの愛称です。五十五年来、「小伙伴」は世界各地から見えられた約二十万人の友好人士と六十人余りの国家元首など重要なVIPをもてなしてきました。こうした交流活動の中、「小伙伴」の子どもたちはよく上海文化の特色や文明レベルを写す鏡だと見なされました。「小伙伴」の子どもたちはこれまで二十以上の国と地域を訪問しており、子どもたちは多くの礼儀と文化を学んだだけでなく、団体として協力する力を鍛えました、また、その輝く笑顔と芸術表現で中国少年少女の素晴らしさを十分に示してきました。彼らは、外部に中国の子どもを理解させる窓口のようでもありました。このことこそ、私たちの創始者である宋慶齢女史がかつて話した「私たちはすでにひとつの橋を発見しました。環境、種族、宗教や政党の相違を橋渡しする。この橋こそ子ども――私たちの子どもたちです」ということばに合致するものです。

――小伙伴芸術団は万博の会期中、ほかにどのような出演がある予定ですか?

万博の会期間中私たちは一連の公演を予定しています。まず「都市広場ウィーク公演」の活動に参加し、上海南京路世紀広場、上海オアシスタワー(上海緑洲大廈)などで全十一公演を予定しています。万博は国際的なイベントであり、私たちのこの公演は主に民間伝統音楽、民間舞踏によって民族文化を表現するものです。また、上海市の十六の演芸団体の万博公演、「私の世界、私の家」――万博「上海ウィーク」児童少年少女演芸特別公演、およびアメリカ館、上海館などで公演が予定されています。

――万博は子どもたちの未来に準備された贈り物です。子どもたちの未来に対して、万博はどんな意義がありますか? いかに子どもたちを万博と一体化させますか?

万博は子どもたちに、それぞれ違った定義と印象をもたらすでしょう。しかし、総括すれば、素晴らしい、先進的な、エコロジカルな、豊かなといった形容詞で説明できるはずです。子どもたちはきっと各パビリオンの独特の造形が気に入るはずですし、これまで聞いたことのない発明や創造を好きになるはずです。万博会場の整った環境を愛するはずですし、万博を通して外国の人文芸術や風土と人情を発見し理解するでしょう。

万博開幕式のリハーサル風景

私たち教育者の目には、万博はひとつの豊かな校外教育資源であり、そこには多くの科学技術と先進の理念が展示されています。子どもたちにひとつの理想的な、素晴らしい未来生活のあこがれを見せてくれます。彼らは素晴らしい未来の享受者であり、素晴らしい未来の建設者なのです。マナー、エコロジー、低炭素化、持続可能な発展、これらの概念はみな子どもたちに深い印象を残すでしょう。また、子どもたちが成長していく過程で、彼らが力を尽くす目標になるでしょう。ですから、子どもたちに万博を体験させ、小さなときから、身の回りのことから、わずかなことから始めさせてほしいのです。

関連情報

中国福利会少年宮小伙伴芸術団は上海最初の児童芸術団で、宋慶齢が1955年に自ら創設した。芸術団の下にダンス、合唱、演劇・映画・テレビ・人形、鍵盤楽器、書画工芸、管弦楽、民間伝統音楽など7つの分団が設置されている。今のところ、5歳から16歳までの団員800名以上が所属。中国福利会少年宮主任、上海舞踏家協会副主席の陳白樺氏が団長を務める。

 

人民中国インターネット版 2010年6月23日

 

 
 
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