郭冷秋=文
立夏
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プロフィール |
黒龍江中医薬大学、漢方薬薬理教育研究室副主任、医学博士。漢方の食事療法、養生の研究に従事、黒龍江漢方医薬科学技術進歩一等賞を受賞。 |
毎年、西暦の5月5日前後が立夏である。立夏は季節の変わり目で、夏の始まりにあたる。中国人の習慣上、立夏は炎暑に臨む節気であるとし、雷雨が増し、農作物が旺盛な成長期に入る重要な節気である。立夏後は、早稲の田植えを大急ぎでやらなければならない大事な時である。この時期、雨水がやって来る時期と降雨量が、収穫を左右する。農業のことわざに「立夏は降らなければ、鋤や熊手は要らず」「立夏に雨なければ、ふみ臼に米なし」とはよく言ったものである。
●立夏の節気と民俗
中国では古くから立夏の節気を非常に重視している。早くも戦国時代末(紀元前239年)には立夏の節気はすでに確立されていた。記載によれば、周朝(紀元前1046~前256年)のころ、立夏のこの日、帝王は文武百官を率いて「迎夏」のため郊外に出向き、司徒を各地に遣わし農民にしっかり耕作に取りかかるよう指令した。
最も広く世に伝わっている立夏の民俗は、大体「立夏の卵」を食べるのと「人を量る」ことに尽きる。中国人はつるつるした丸い卵を生活の円満の象徴とし、立夏の日に卵を食べて夏の日々の平安を祈った。立夏の前日、多くの家ではお茶っ葉や胡桃の殻を入れて「立夏の卵」を煮る。卵を食べる他、ひびの入っていないゆで卵を、カラーの糸で編んだ袋に入れ、こどもの胸に掛けたり、ベッドの帳に掛ける。立夏のこの日、煮た卵どうしをぶつけ合うのが、こどもたちの一番楽しい興奮する遊びで、卵の殻が硬く壊れなかった方が勝ちになる。立夏の日に「人を量る」のは主に中国の南方ではやっている習俗で、起源は三国時代(220~280年)だという。伝説によると、劉備の死後、諸葛亮は趙子龍に劉備の子の阿斗を江東に送らせ、その継母、実家に戻っていた呉国の孫夫人に扶養を托した。その日は正に立夏で、孫夫人は趙子龍を目の前にして阿斗の体重を量った。次の年の立夏にもう一度量り、体重がどれだけ増えているかを手紙で諸葛亮に書き送った。これが民間に伝わって風俗となったのである。この日体重を量れば、夏の猛暑に負けず夏痩せしないという。
●立夏の養生
中国伝統医学(中医学)では、立夏の養生は、当然のことながらきわめて「心」に重きを置く。立夏から気温がだんだん上がるにつれ人は心理的に落ち着かなくなり、病気になりやすくなる。体の免疫力も弱まるため、不規則な寝起きや暴飲暴食をすると、いろんな病気を誘発する。したがって立夏の節気は、「心を静める」ように調節すべきである。心を穏やかにし、常に微笑を忘れず、怒りを抑え、自分の心が穏やかになること、例えば囲碁や庭いじり、釣り、絵画、書道、音楽などを楽しんで、情緒を養い心を伸びやかに保つ。また、適度な昼寝をするのも体の健康にはよく、ある種の病気の発生を抑えるにはとりわけ効果的である。研究によると、昼寝は冠状動脈性心臓病や心筋梗塞の予防にはかなりよい作用があるとされる。
小満
毎年、西暦5月21日前後が小満の節気である。小満から大麦、冬小麦などの夏に収穫する作物が実を結び始め、日増しに実が熟してくるが、まだ成熟とまではいかない。それで小満と言うのである。小満の時節の気温はすっかり暖かくなり、中国の大部分の地域は夏に入る。
●小満の民俗
言い伝えによると、小満の節気に蚕の神が誕生したとされる。養蚕は、江南の農民の伝統的な副業で、数百年来、小満の節気が訪れるたびに、蘇州、南京、上海、杭州あたりの地方では、「小満戯」と呼ばれる神をもてなす芝居を観て大いに賑わう。蘇州の盛澤鎮には、江南地方にも稀にしか見られない蚕の神を祭った廟があるが、規模はなかなか壮大である。中国シルク博物館が開館した折、メインホールに『盛澤小満戯』という壁画が作られて展示された。
●小満の養生
小満のころは高温多雨で、皮膚病が蔓延する。各種の類似する皮膚病の人は、飲食面ではできるだけさっぱりとした淡白な菜食をとるよう心がける。常に熱を取り除き、潤いを与えるものを食する。例えば、小豆、ヨクイニン、緑豆、冬瓜、ヘチマ、キュウリ、クログワイ、キクラゲ、レンコン、ニンジン、トマト、山芋、鴨肉など。動物性の脂肪、生臭い魚類、酸っぱい渋い辛いもの、体を温めるもの、揚げ物、焼き物などを避ける。例えば、生ネギ、生姜、生ニンニク、ワサビ、コショウ、唐辛子、ウイキョウ、桂皮、ニラ、ナス、キノコ、海鮮、牛肉、羊肉類など。
人民中国インターネット版 2010年6月29日
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