陳言=文
上海万博の来場者数は、六月二十八日時点で二千万人を突破した。一千万人に達するまでに三十六日間かかったが、次の一千万人は二十三日間で来場した計算になる。夏休み期間に入り、今後も多数の人が来場すると予想されている。
このため、会場は相当混雑しているだろうと思って訪れてみたが、意外なことにそれほどの混雑を感じなかった。サウジアラビアと日本のパビリオンは、確かに五時間以上も待たされていたが、その他のパビリオンは長蛇の列というほどでもなく、レストランに行ってもすぐに食事が食べられた。
それでもやはり並び疲れたのか、多くのパビリオンを見学して歩き疲れたのか、夕方になると芝生や椅子で寝ている人をたくさん見かけた。そこでは、無料でもらった地図などがシート代わりに使われているが、去って行くときにはそのまま捨て置かれ、ごみとして散らかっていた。北京五輪という世界的イベントを通じて北京市民のマナーは向上したと言われる。上海でもそれが実現していくか、万博は一つの実験の場、学習の場となっている。
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陳言
コラムニスト、『中国新聞週刊』主筆。
1960年に生まれ、1982年に南京大学卒。中日経済関係についての記事、著書が多数。 | 人気パビリオンとごみの山
まだ列を作り順番待つことに慣れていない人たちは、上海万博の一部のパビリオンで五時間も並ぶ人を見て秩序を感じるだろう。しかし、十分な秩序があるかというと、必ずしもそうではない。
例えば、サウジアラビア館前の長い列を見ればすぐに分かる。炎天下で一時間も並ぶと喉が渇き、四、五時間も待つとお腹も減ってくる。誰もが何本もの水を飲み、あれこれと食べながら列に並んでいた。そこで、空になったペットボトルをどうすればいいか、お弁当のプラスチックの箱はどこに捨てるか、迷っている人を数多く見かけた。
ごみ箱がないわけではない。たいていの人は、ごみをキチンとごみ箱に入れているが、回収が間に合わないためか、ごみ箱からあふれたごみが多く見られ、ごみ箱に入らないならと、結局、適当にその辺に捨ててしまう人も少なくない。
並んでいる列から出て捨てに行くのも面倒だと、飲み終わった空きビン、弁当箱を適当に捨ててしまう人もいる。すると、最初は遠慮していた人もつられて捨て始め、ついには人々はごみの中で、しかも徐々に残飯が異臭を放つような環境で入館を待つことになる。夜、掃除が始まると、山ほどのごみが運ばれていく。
来場者がごみの持ち帰りを徹底していないと批判するのは簡単だが、むしろ万博の組織者、パビリオンの担当者が、毎日そのごみの山を見ていながら、有効な行動を取らないことが不思議に思われる。万博主催者が、一定の時間ごとに列の中に入ってでもごみを収集すれば、来場者も清潔な環境で入場待ちができ、歓迎するはずである。それができなくても、せめてレジ袋のようなものを配り、ごみの持ち帰りを呼びかけるべきであろう。あるいは、張り紙で清潔を保つよう呼びかけるべきではないか。しかし、会場ではそうしたものをあまり見かけない。マスコミが、来場者がいなくなる夜に、ごみを運んでいく労働者を賞賛する記事ばかり書いても、問題の解決にはならない。人気パビリオンで毎日造成されているごみの山は、とにかく朝になれば消えており、主催者が日々改善する姿勢はそれほど感じられない。
都市化にふさわしいマナー
上海の街を歩いても、人々の公共意識について、万博会場内で感じたのと同じ感覚を持つ。
築十年も経たない建物なのに、外観の色も褪せ、中に入ると、壁にはわけのわからない広告が貼ってありうす汚く、廊下にはほこりが溜まっているのを見かける。もう五十年も経ったかのようだ。
洗濯機のない時代は、上海の横町を歩くと、洗濯物からポタポタと水がしたたっていた。それは昔の記憶となったが、水はしたたらなくても、窓から竿一本だして服を干すこと自体は今も変わらない。二百年の歴史があるこの都市だが、この部分の風景はずっとそのように設定されているかのように見える。しかし、それでも他の都市の高層住宅の「ごみを窓から捨てないように」というエレベーター内の注意書きよりはましかもしれない。
暑い夜、人の多い高層住宅、オフィスビルの下の食堂などは歩道にテーブルを出す。人々が集まってビールを飲み始めるが、人が多くなると歩道からあふれ、最後には自動車も通れなくなる。飲み客が席を立ち帰っていくと、地面には数えきれないほどの落花生や枝豆の殻が落ちている。近代的な外国の大都会で、同じ現象が見られるだろうか。こうしたことの原因は、急速な都市化で規制や整備が追いつかないというよりも、人々に、都市化に伴って本来必要な生活上のマナーが身についていないことにあると思われる。万博に戻るが、最近、お年寄り、幼児を優先させる「緑の入り口」を多くのパビリオンが閉鎖した。一人の老人を四、五人で囲んで緑の入り口を突破しようとする若者や、体の大きな小学生を乳母車に乗せて優先的に入場しようとする両親が絶えないためだ。中国でも、日常生活ではお年寄りや幼児を大事にしている。しかし、お互いに見知らぬ大都会、また巨大イベントの会場となると、正常なマナーが忘れられ、極端なエゴイズムが{ばっこ}跋扈するようになるのだろうか。万博の展示を通じて、入場者は外国の都市の風貌などを知ることができる。しかし、都市化の中でいかに近代的なマナー、秩序が形成されているかを伝えていくことは難しい。ごみの山を作らせることなく、緑の入り口を再度開放させ、みんなにマナーを守ってもらうという万博主催者の意志は、今こそ示されるべきである。
万博を通じて数千万人ものマナーが向上したら、それは万博の思いがけない成功といえるだろう。数十年後、実は中国の都市のマナーは、上海万博を契機に非常によくなったと国内外に言わせようという気持ちを、主催者側には持ってもらいたい。
人民中国インターネット版 2010年7月16日
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