万博で「帰省」する鑑真和上  
 

陳言=文

揚州大明寺内にある鑑真記念堂(東方IC)

上海万博では、世界の貴重な文化財が数多く展示されている。会場には万博の歴史を展示するパビリオンがあり、これまでの万博で各国が展示した国宝級の文化財を知ることができる。また各国のパビリオンでも、展示の目玉としてその国の文化財を見ることができる。

鑑真和上坐像も万博期間中に上海にやって来る。ただ、たいていの国宝が万博が終わると国への帰路を急ぐのと違い、鑑真和上はそれからも多くの人の参拝を受ける。十一月に上海近くの揚州に「帰省」し、そこでもう一度中日交流の歴史を温めるのである。

「鑑真和上には万博を機会に揚州にお帰りになっていただきますが、市をあげて温かくお迎えいたします」と、揚州の王玉新副市長は笑顔で話す。紀元七一五年に修行を終えて故郷・揚州の大明寺に戻り、七三三年に住職となった鑑真和上は、今回は近代化された上海を経由して揚州に戻るが、中国の変化をどのように感じるのだろうか。

千年を超える都市間交流

上海万博のテーマは「より良い都市、より良い生活」である。中国と日本の間では、都市は互いに交流の中で成長し、民族や文化を越えて千年以上も交流を続けてきた。

その象徴は日本の平城京であろう。二〇一〇年は、平城京(奈良)遷都千三百年にあたり、奈良では盛大な祝典を行う。平城京は、七一〇年ごろ建設が終わり、都もここに移った。その四十三年後の七五三年ごろ、鑑真和上が六回目の航海でやっと日本にたどり着いた。そして、新しい奈良の都に、宗教、医学、さらに当時最新の建設技術などを伝えた。

七一〇年といえば、鑑真和上は道岸禅師に従い、長安で「戒」を受けてから一年経ったころだった。その後、七一五年に故郷・揚州に戻り、一般大衆に戒を授けたが、その数は四万人を超え、「江淮の間、独り化主と為り」(揚州では鑑真一人だけが戒を授ける)と言われた。

その後、留学僧の栄叡と普照に招請され、鑑真和上は海を渡って日本へ赴く決意をした。当時の平城京では、仏教を信仰すると誓えば、儀式を行わずとも僧尼になれる「自誓授戒」が一般的だった。しかし、鑑真和上は「戒」よりも、僧尼の間で誓い合う「律」を重視し、律によって仏教を高度化していくことを目指していた。律を誓う場合、十人以上の正式の僧尼の前で儀式「授戒」を行う必要がある。栄叡と普照から日本の「戒」についての話を聞いたであろう鑑真和上は、長安から揚州へ帰る時の気持ちと同様に、使命感を持って日本に渡る決心をしたのではないか。

度重なる困難を努力によって乗り越え、十年後に日本に到着した鑑真和上は、翌年の七五四年に東大寺大仏殿に戒壇を築き、天皇から僧尼まで四百人に菩薩戒を授けた。またいくつかの戒壇を設置して、戒律制度を急速に普及させた。

仏教は当時の文化の最高水準を代表していた。戒律だけでなく、鑑真和上は唐招提寺の建立などにも力を尽くし、書道、彫刻(芸術)、薬草(医学)、文学、印刷などの知識も日本に伝えた。鑑真和上の足跡は、今も唐招提寺、鑑真和上の坐像などの形で、都市間の交流の証として残されている。

陳言

コラムニスト、『中国新聞週刊』主筆。

1960年に生まれ、1982年に南京大学卒。中日経済関係についての記事、著書が多数。

揚州と奈良の新たな一歩

鑑真和上坐像の揚州市への帰省は、両都市間の新しい交流にもつながっている。

「平城京遷都千三百年の年に、揚州と奈良は友好都市になりました」と王副市長は友好都市締結の意義を強調して言う。揚州はすでに日本の厚木市、唐津市と友好都市関係を結んでいるが、新たに奈良がそれに加わったのである。鑑真和上は揚州の出身であり、現在も大明寺は揚州で人々の信仰を集めている。そして、揚州にある鑑真記念堂は、三十年前に著名な建築家である梁思成氏が、唐招提寺の金堂をもとに設計したものである。

鑑真和上坐像は十一月二十六日から揚州鑑真図書館――この唐時代の外観を持つ図書館で十日間ほど一般大衆の参拝・見学を受ける。「この時期は、坐像にとっても最適な気候であり、一般市民の前に出ていただくのに適した温度、湿度です」と王副市長は付け加える。

そして、揚州では大明寺の周りに一万本の桜の木を植える計画が立てられている。「三年間の計画が一万本ですが、実は将来的には三万本ほどに増やしていきたいのです」と揚州市役所の謝徳峰広報部長は、より大きなプランを温めていることを明かす。そして、在上海日本総領事館から推薦してもらった桜の品種は、大島桜と枝垂れ桜だとも話してくれた。

奈良と揚州の友好都市締結、鑑真和上坐像、桜などなど、揚州では今回の帰省がホットな話題となりつつある。「鑑真和上の帰省に合わせて大法会を開き、また書道展、仏教芸術祭なども同時に開催します。特に、鑑真和上には揚州の変化、中日関係の変化などを見ていただきたいと思います」と、王副市長は揚州の「改革・開放」後三十年の変化を見せたいようだ。

一方、奈良では遷都千三百年の記念行事の一環として、中国の建築家・梁思成氏の彫像を市役所の近くに設置する予定である。日本生まれで奈良が大好きな梁氏は、第二次世界大戦の末期に、米軍司令部に対して奈良、京都には重要文化財が数多くあるので爆撃を避けてほしいと掛け合ったと伝えられている。

より良い都市をテーマとする万博をきっかけに、揚州と奈良は交流を深め、互いにより良い都市へ進化しようとしている。

 

人民中国インターネット版 2010年7月23日

 

 

 
 
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