李宏峰=文・写真
「マカーム」(木卡姆/Muqam)は元々アラビア語で、本来は「規範」「集い」などを意味し、そこから派生的にメロディや音楽、即興歌・演奏などの意味で使われることもある。そして、マカームとは、西域の土着民族の間に生まれた、イスラム文化の影響を大いに受けた音楽芸術様式なのだ。
マカームは中央・南・西アジア、北アフリカの19の国と地区に伝播し、その範囲は古代に東西文明を結びつけた「シルクロード」とほぼ合致している。新疆ウイグルのマカームは民間芸能から生まれ、各オアシスにあった国や町の宮殿、官邸で発展し、統合を経て、多様化、総合的、体系的、即興的、大衆的音楽芸術の特色を形成した。また、各部族間の音楽舞踏文化の伝播や融合の歴史を記録・証明するもので、ウイグル族の音楽文化を代表するものだ。
古くはウイグル族の祖先がまだ漁猟や放牧生活を営んでいた時代から、山間部や草原・平原地帯では即興で感情を表現する歌が生まれ、それが絶えず融合、変化し、12世紀には「博雅婉(野外の歌)」という組曲になった。これがマカームの原形だ。
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カームの音楽に合わせて楽しく踊り出す通りすがりの人たち |
情熱的で、奔放なダオラン(刀郎)マカームのパフォーマンス |
10世紀以降、西域ではイスラム音楽史上における巨匠、アル=ファーラービー(al Farabi、870~950年)、イブン=スィーナー(ibn Sina、980~1037年)、エルシェル=ナワイ(Elshir Nawai、1441~1501年)の3人が現れた。
カラハン王朝時代の音楽家ファーラービーは『音楽大全』などを編著し、クチャ(亀兹)琵琶を基にウード(烏徳)楽器を改良し、五弦琵琶を基本にして、アラビア音楽を18調に引き上げた。
スィーナーはファーラービーの弟子で、西突厥以来の突厥(テュルク/Tūjué)の文化的栄養を吸収し、「12」を神聖とする現地の宗教的考え方を利用して、12律の伝統と旧来の歌曲音楽の組合せを基に、12曲の組曲を創作した。
ナワイはファーラービーやスィーナーよりさらに一歩進んで、「等級」「住地」「地方」といった音調を含む一連のマカームの名称を両義語して使い、マカームこそ音の様式だという考え方を提唱した。
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