「私たちの心は海宝とひとつに」
――上海万博青年ボランティアに聞く
 
 

 

ボランティアの手記

忘れがたい日々に私が学んだこと

華東師範大学 小邱

いま着ている「白菜服」は、活動が終わって脱いでしまったら、もう二度と着る機会はないのだろうか。洗ったあとはタンスの奥底にしまわれたままになってしまうのだろうか。この「白菜服」を身につけて活動した日々が終わろうとしているいま、私は「いいや、そんなことはない」と心の中で叫ぶ。

ボランティア活動をするのは、私にとって初めての体験だった。まだ活動が始まる前から期待が高まり、早く持ち場に就きたい気持ちでいっぱいで、十六日間はとても長く感じられ、終わってしまわないような気がしてならなかった。そして今、まだ持ち場を離れていないのに、もう懐かしさがこみ上げてくる。

この十数日間を思い返してみると、ほんとうに毎日が成長の日々だったことが分かる。最初の二日間は、誰もが慣れるのに精一杯で、情報があいまいなのが最大の問題だった。皆が「誰も私に正確な情報を教えてくれない」と当惑顔だったのが、やがて誰もが自分でネットで調べたり、実地に歩いてみたりして、正確な情報が身につくようになった。私たち皆の大きな進歩に他ならない。ボランティア活動に限らず、多くのことで、私たち自身のこうした主体性と「ほんとうに知りたければ自ら実践しなければならない」という態度が必要なのだ。誰かが教えてくれるのを待っていては始まらない。これが私たちの学んだ第一課だ。

周囲の状況がだんだんと分かってくると、どの来場者にもはっきりと誤りなく正確に情報を伝えることができるようになった。けれども毎日毎時、同じような応答の繰り返しが続くと、皆が仕事に単調さと味気なさを感じるようになってしまった。さらにいけないのは雨が降り始めることだ。半時間もの間、一人として声をかけてくれる来場者がいない。そんな状況が、仮に十数日間続いたとしても、私たちはがんばって立ち続けなければならない。「小白菜たち」の脚力は日に日に壮健になり、さびしい気持ちにも耐えられるようになった。不平も出なくなり、疲れも乗り切れるようになって、やりきるとはどういうことなのかが分かるようになったのである。これが私たちの学んだ第二課だ。

慣れてきて仕事がはかどるようになると私たちの持ち場であるシティ広場が私たちの家も同然の、親しみがわく、和やかで、熟知した空間になった。もっと多くの来場者にここを参観してもらおうと、私たちは、まだここの特色を理解していない来場者に辛抱強く説明するようにした。家でいちばんいいものをお客さんに見ていただかなければならない。私たちが今、いちばん力を入れているのは、心からの笑顔で応対し、心をこめた説明をして、来場者にボランティアの精神を伝えることだ。私たちのちょっとした言葉もなにげない行動も上海万博を代表しており、ボランティアを代表しているのだ。私たちの持っているいちばん素晴らしい精神でお客さんの役に立たなければならない。これこそ「天下の興亡については匹夫にも責あり」ということではないだろうか。これが私たちの学んだ第三課だ。

もちろん、以上三課程を挙げただけでは十六日間の収穫と所感を全部述べたことにはならない。ある仲間がこんなことを言っていた。「これが夢ならば、私はこの夢が覚めないでほしいと思う」と。ボランティア活動とはそんなにも人を夢中にさせることなのかもしれない。私は、私の存在が人の助けになり、そのことで人から「ありがとう」と言ってもらえることが、ほんとうにうれしい。その「ありがとう」の言葉の一つ一つを記録に残しておきたいと思うほどだ。

二時間ずっと立ち続けたあの日、太陽がじりじりと照りつけ、そして突然激しい風雨に襲われたあの日、三カ国語のちゃんぽんで外国人来場者の質問になんとか答えられたあの日、さまざまな万博バッジを集めて回ったあの日、そして毎日飲んだ果物の顆粒入りヨーグルト、帰るバスのなか皆で心行くまで合唱したあの歌…… それが私の万博ボランティアの日々だ。きっと一生忘れないだろう。

私は都市のなかの「ひと刷毛の藍色」

静安公園ボランティアステーション 倪迪開

七月十三日、それは私が静安公園シティボランティア・サービスステーションで活動を始めてから第四日目のことだ。私は、思ってもみなかった大きな収穫を身につけたことに気づいたのだ。ずっと方向音痴だった私が、いまはほかの人の道案内をしているのである。それは、経験を積めば知識は身につくということを私に教えてくれたのだった。

私は小さいころから国外に留学していたのと、兄弟姉妹がいなかったために、毎年の夏休みに上海に帰っても、いつも一人ぼっちでさびしい毎日を送っていた。パソコンだけが友だちという退屈な夏休みを毎年過ごしたのだった。ボランティアステーションでの活動を通じて、私は初めて、私の故郷、上海で、自分と同じ世代の友人をつくることができたのだ。静安公園ステーションで、私は、団結するとはどういうことかを学び、大人たちの毎日の仕事がたいへんなことを知り、そして、自分のそれはほんのささやかな力かもしれないが、その自分の力で助けを必要としている人の役に立った時の喜びを知ったのである。

こんなことがあった。私とステーションの他の二人のボランティアの三人で「麻辣燙」

(串にさしたさまざまな具を辛い味付けの鍋につけて食べる軽食)を食べに行った時、私たちが藍色のボランティアの制服を着ていたので、店のウエートレスの一人が「万博ボランティアのかたですね。ほんとうにお疲れさま」とあいさつしてくれたのだ。私はその言葉を聞くと、感動するとともに、複雑な気持ちになった。彼女は立ちっぱなしで客の応対をしなければならず、毎日の仕事の量は私たちボランティアよりもずっと多いはずだ。そう思うと私は恥ずかしくなった。なぜ自分のほうから先に彼女に「ほんとうにお疲れさま」と言えなかったのかと。

一人のシティボランティアとして観光客や市民のためにサービスするのが私の職責である。「ほんとうにお疲れさま」、この言葉を思い起こすなら、もっと暑い日でももう恨み言などは言っていられないし、もっと疲れたとしても疲れたなどとは言っていられない。上海万博のボランティアであることは名誉なことであり、人々から理解され感謝されることは幸せなことなのだから。

私たち一人一人の名前は覚えていただかなくても、どうか私たちの制服の色、藍色を忘れないでほしい。上海のあの街角この街角で、あなたが助けを必要とした時、私たちはあなたのすぐそばにいるのです。

 

人民中国インターネット版

 

 

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