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上海博物館の名品 彫塑 玉器 書

高原=文 馮進=写真

上海博物館には、青銅器のほかにも、古代彫塑、玉器、書画、印章、明・清代家具など多くの貴重な文物が収蔵・展示されていて、中国に数ある博物館の中でも独特の地位を占めている。

古代彫塑―質朴な木彫像

菩薩漆金彩絵木彫像(金代)

まずは、青銅器展示ホールの向かいにある古代彫塑展示ホールから巡ってみよう。古代彫塑は青銅器と同じ一階という重要でまた最も人目を引く場所に陳列されている。展示品は仏像が主であるが、石彫であれ木彫であれ、すべてケースに入れたり板ガラスで覆いをしたりせずに、そのまま鑑賞できるようにしてあり、入館者は彫塑と直接対面できる。

中国の古代には、ギリシャ、ローマのような偉大な彫刻の時代はおとずれなかったが、限りなく「偉大」に近づいた時期があったことを忘れてはなるまい。秦・漢代の陶俑、唐代の陵墓を飾った彫塑、そして砂漠のオアシスにつくられた石窟にあるいは彫りこまれ、あるいは安置された美しい仏や菩薩……。こうした中国古代の彫塑作品を上海博物館では間近に見ることができる。

上海博物館に陳列された彫像の中で、私が敬慕してやまないのが迦葉の木彫像である。この唐代の大きな木彫頭像は、周りを多くの石彫群に囲まれ、きわめて特異な存在感を示している。木彫像が今日まで保存されてきたのは容易なことではなかったろう。造られた当時は金箔が貼られ鮮やかな色彩が施されていたものが、長い年月を経て、そのすべてが剥がれ落ち、褐色の木肌をむき出しにしているが、その質朴で簡素な美に、わたしは心打たれる。ふぞろいで亀裂さえ入っている木目が、つややかに磨かれた石像の表面にはない、経てきた転変常なきいく時代もの歴史のひだを感じさせて、わたしの琴線に触れるのである。

迦葉は釈尊10大弟子の一人で、中国の仏教彫刻ではよく釈尊(釈迦)の脇侍として登場する。迦葉とともに釈尊の脇侍を務めるのが阿難だが、両者の識別はけっして難しくない。若くて顔立ちの整っているのが阿難、老人できわめて個性的な顔立ちなのが迦葉、である。その個性的な容貌が見るものに深い印象を残すのである。

玉器―精美な名品の数々

中国人は古来、玉をこよなく愛してきた。孔子は、玉の光沢は清らかで温かみがあり、潤いを持つとして、儒教の最高の道徳である「仁」になぞらえている。

硬くて容易に断てず、かりに断ち切れたとしても切り口は人の肌をけっして傷つけない。

それは「義」の道徳を表していよう。玉を身に帯びれば、服装はおのずから整い、秩序あるものになる。それは「礼」の道徳を表していよう。玉製の器物をたたくとその発する音は清く澄み耳に心地よい。それは「楽」の道徳を表していよう。『詩経・秦風』には「言に君子を念う、温として其れ玉のごとし」とも詠われている。

(上)玉器・蟠龍環(商代晩期)

(下)玉器・龍(戦国時代)

こうした価値観や美意識は新石器時代から今日まで、中国人のあいだで変わることなく継承されてきた。中国では世界で最も早く玉器が製作・使用されただけでなく、玉器の使用と民族文化、民族性が緊密に結びつくというきわめてまれな伝統が保持されてきたのである。

上海博物館の入場チケットには、館の収蔵品を最も代表するものとして玉器――「玉神人」が印刷されているが、この「玉神人」は中国の新石器時代後期に黄河下流域に発祥した龍山文化を代表する出土品である。

「玉神人」は青玉を丸彫りしたもので、全体の造形といい、形状の線といい、その流れるような滑らかさと小さな穴をうがつその精巧な技術は、当時すでにきわめて高度な玉彫技術が存在していたことを実証しており、中国新石器時代の最も精美な芸術品と言ってもけっして過言ではなかろう。

考えてもみてほしい。あなたが中国の新石器時代の遺跡の発掘現場に居合わせて、たまたま古い古い墓を掘り当てたとしよう。墓の主はすでに黒い土と化し、ただかすかな痕跡としてしか残っていないのに、そこに各種の精美な玉器が散りばめられるようにして置かれていたら、いったいどうするだろう。触れたり、動かしたりしてしまえば、その美しい情景は、一瞬にして幻のように消え去ってしまうのである。

数千年も前に、人類はこのようにも美しい装飾品を作り出していたという事実には、ただただ賛嘆するばかりである。

書―歴史を跡付ける展示

上海博物館が所蔵する中国歴代の書作品はたいへん豊富で、約600平方メートルの展示ホールには、中国の書芸術の流れを系統的に跡付ける展示がなされている。なかでも明・清代の書作品が最も充実しており、各流派の重要な書道家の作品はおおむねそろっている。

ここでは、その中でも特に有名な『上虞帖』と『淳化閣帖』の2点を紹介したい。

『上虞帖』の原本は書聖、王羲之が親しい友人に書き与えた短い手紙である。王羲之の真筆は今日、一点も現存しておらず、わたしたちが目にすることができる作品はすべて、歴代の臨模本である。上海博物館所蔵のこの『上虞帖』は唐代の臨模本で、今日、きわめて高い評価が与えられているが、その発見の過程もまたきわめて劇的だった。

王羲之の『上虞帖』)

1970年代に、上海博物館の職員がとある工芸品工場の倉庫でこの『上虞帖』を発見し、持ち帰って専門家に鑑定してもらったところ、結果は「にせもの」だった。3年後、職員はこの件をどうしても放っておけず、当時国内で一流の書画鑑定家として知られていた謝柳稚氏に見せた。謝氏は一見して腰を抜かすほど驚き、倉庫に眠っていた廃品が再び日の目を見ることになったのである。この裏打ちされ装丁された『上虞帖』巻に付けられた題箋の文字は宋の徽宗の手になるもので、かつて宋の宮廷内に所蔵されていたことは明らかだ。このことからしてもこの希代の名品が唐代の優れた臨模本であることが立証されたのである。

『淳化閣帖』は、中国の長い書の歴史の中で、歴代に多くつくられた法帖のなかでも最も重要なものである。法帖とは書作品を木版に精確に彫り、これを拓本にして複製し、帖に綴じたもので、『淳化閣帖』は北宋の淳化3年(992年)に宋の太宗の命を受けてつくられており、早い時期の法帖としてその価値はきわめて高い。魏晋から隋唐までの百余人の名家の400余の墨跡が収められており、もともとは10巻だった。

2003年4月、上海博物館は450万ドルを投じアメリカから第4、第6、第7、第8の4巻を買い戻した。『淳化閣帖』には多くの版本があるが、買い戻されたこの4巻は淳化3年につくられた最初の刻本であり、きわめて貴重なものである。

 

人民中国インターネット版 2010年8月30日

 

 

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