ASEANとの自由貿易区で飛躍する

 

ASEANとの自由貿易区で飛躍する

2010年1月1日、中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)の自由貿易区が正式に始動した。これによって一部の例外を除き基本的に、中国と旧ASEAN六カ国とは、90%以上の生産品の関税ゼロが実現した。5年後にはこれがASEAN全加盟国へと拡大し、19億の消費者と六兆ドルの国内総生産(GDP)、4兆5000億ドルの貿易総額を有する巨大な自由貿易区が完成する。

中国で唯一、ASEANと陸上で接し、海路でもつながっている広西チワン族自治区はいま、対ASEAN貿易の最前線として注目を集めている。

活力溢れる国境貿易

比較的発達したASEANの昔からの構成国であるマレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン、タイ、ブルネイの六カ国は、今年から中国との関税がほとんどゼロとなった。中国のASEANに対する平均輸入関税は9.8%から0.1%に下がり、ASEANの中国に対する平均輸入関税も12.8%から0.6%に下がった。さらに5年後には、中国とASEANの新しい構成国であるベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーとの貿易自由化も同じ水準にまで進む。

緑に包まれた南寧国際コンベンションセンター(新華社)
 

広西チワン族自治区の東興市の市街地は、わずか数十メートルの北侖河を隔ててベトナムのモンカイ市と向かい合っている。中国―ASEAN自由貿易区の成立にともなって、国境貿易は優遇税率を受ける商品が多くなり、この小さな都市にも新たな活力を与えている。  

朝八時になると、東興の陸上貿易港である中越友誼大橋の上には、小売商たちがカバンや衣服、家電製品などの物資を持って国境を越え、ベトナムへ商売をしに行く。ベトナム側からも人々が果物や日用品、金属製品などを抱えて中国に「出勤」してくる。商売のチャンスを逃がすまいと、行き交う商売人たちは小走りに道を急ぐ。  

データによると、東興貿易港の2008年の出入国者は延べ380万人。午前8時から9時までがピークで、多い時には3000人に達する。対岸の検査区に着くと、国境近くに住んでいることを証明する「辺民証」を提示すれば、30秒もかからずに通関手続きが完了する。  

 

午後になると、商売人たちが続々、対岸に帰って行く。靴の貿易を営んでいる鍾さんは「最近、商売の相手を探すのがますます簡単になりました。関税はもともと高くはなかったけれど、それがさらに低くなったから」と言った。一月の東興貿易港の輸出は約4500万ドルに達し、前年同期と比べ1.8倍増加した。

言葉も通じ、親戚もいる

広西チワン族自治区は、中国とASEANの貿易の面で地理的に優位な位置にあるばかりでなく、もう一つ有利な点を持っている。それは、自治区の住民とASEANの住民が長い間、友好的に往来する中で人的、文化的関係が培われてきたということだ。自治区の主要な少数民族であるチワン(壮)族が使っているチワン語は、インドシナ半島の各国の言語と非常に似たところが多い。  

東興市のマホガニー家具市場に店を出している女性店主の馮均瑛さんは、ベトナムで生まれ、後に帰国し、定住した人である。いまでもベトナムに親戚がいる。こうした彼女の生い立ちが、その後、商売をするうえで役に立った。  

「私は、ベトナムの商人が掛売りした4セットの家具から起業したのです」と彼女は言った。もともと馮さんは経済貿易局に勤めていたが、2004年、ベトナムへ投資を募集しに行った。ベトナムから商人が展示会に参加したとき、場所の提供や管理の責任者となった。  

ベトナムが投資してつくられた「東興仁和」秤製造工場で働く中国人の労働者たち(写真・楊振生)

「ベトナムの商人はみな私を信頼してくれました。あるマホガニー商は展示会が終わって帰るときに、残った四セットの家具を私に預け、代わって売ってほしいと言ったのです。私はそれを売った後、代金を渡しました。すると間もなく、他の商人たちが私を訪ねてきて、代わって売ってほしいと言うのです。こうしてだんだんと私はこの商売をするようになったのです」と彼女は言った。  

馮さんはベトナムから半製品の家具を輸入し、これを工場で乾燥させ、つや出しをし、全国に卸売りして、毎月数千万元を売り上げている。ベトナムで生まれたという特別な生い立ちに加え、流暢なベトナム語で、ベトナム商人と付き合うのも容易だ。「私の商売はすべてベトナムに依存しています。ベトナム商人は品物があればすぐに、運んできて売ってほしいと頼んできます。ベトナム側で粗加工し、こちらで精密加工する。互いに協力しあっているのです」  

この数年、彼女も元手をかけて、自分の品物を貯えるようになった。将来、値上がりが見込めるからだ。いま、資産はだいたい2、300万元と推定される。自由貿易区の完成という新たな情勢に対し馮さんは「来年には個人の商売を企業化するつもり。ASEANの国に工場を建て、家具生産の生産ラインをつくりたい」と言っている。

投資し合う関係に

中国の商人がASEANに進出しようとするばかりではなく、ASEANの商人たちも、中国―ASEAN自由貿易区設立というチャンスを利用して中国に投資し、工場を建てようとしている。

2008年十月、ベトナムが投資した「東興仁和」秤製造工場の建設が東興市で始まった。このプロジェクトは、敷地面積90ムー(1ムーは6.667アール)、総投資額600万ドルで、工場の職員と労働者は現地で採用され、ベトナムから技術者が派遣されて指導と訓練・養成に当たる。2013年にはプロジェクトがすべて完成し、年産200万台の生産が可能になり、中国と東南アジアの市場に供給されるという。  

この工場で働く中国人のある労働者は「現在、工場にはすでに三十数人の中国人労働者が採用されて、数人のベトナムの技術者が我々を指導しています。現在、日産能力は4、500台で、一カ月で一万台以上を生産できますが、注文にまったく応じきれない状態です」と言った。  

東興市当局によると。この工場がすべて完成すれば、千人以上の現地雇用が見込まれ、この地方の就業状況の改善に大きな助けとなるだろうと言う。

競争は激化するか 

しかし、中国―ASEAN自由貿易区の設立に対し、すべてが楽観的というわけではない。中国とASEAN各国との経済貿易協力は発展途上国間の南南協力だという見方もあるが、彼我の経済発展段階と産業構造の共通性が、同質化の競争を引き起こすかもしれない。東興市の商人たちはこの問題をどのように見ているのだろうか。

東興市でベトナムの食品や小物を扱っている店の店主である毛翠英さんは、ここで1990年代に国境貿易を始めたという。扱っているのは乾燥パイナップルやココナツ風味の落花生などで、味は独特。中国国内にはないものだ。「当時、私はこうした品物をベトナムから担いできて、中国で売りました。2001年には思い切って会社を立ち上げ、ベトナムのメーカーに直接、商品に中国語のラベルを貼らせ、即売会を催して宣伝しました」と毛さんは言う。

「西部第一の港」といわれる広西チワン族自治区の防城港。ここは中国―ASEAN自由貿易区の輸出入物資の集散地となっている(新華社)

店の中に陳列されている各種の乾燥果物の商品は、北京にもあるが、価格はほぼ倍もする。現在、毛さんは毎年、1000万元の国境貿易を営んでいる。  「実は私の品物は何もないのです。すべて中国とベトナムの友人たちの商品なのです。客は私を通して注文し、金を私に払う。私はベトナムのメーカーにその金を渡すのです。ベトナムの客が中国の食品を輸入したいなら、私は国内のメーカーと連絡します。私は仲人のようなものです」と毛さんは言う。

中国市場にはベトナムの熱帯産の果物製品の需要があり、ベトナムも干しブドウやシイタケなどのベトナムにはない食品をほしがっている。いずれも低価格商品だが、商品の違いと需要の差、あるいは経済の相互補完性が自分に商機をもたらしたと、毛さんは見ている。「中国―ASEAN自由貿易区が始動するのにともなって、商売はさらによくなるに違いない」と毛さんは言っている。

いま、広西チワン族自治区では、ますます多くの人々が中国とASEANの経済の相互補完性を利用して、商品の代理売買を始めている。それが果たして競争の激化をもたらさないのか。この疑問に毛さんは「まったくないですよ。金さえあればみなが金を稼ぐことができるのです」と言った。  中国―ASEAN自由貿易区がつくられた当初、関税が低くなったのを契機に、広西チワン族自治区はASEAN市場の開拓に大いに力を入れた。とくに2004年に南寧で開催された中国―ASEAN博覧会以後、同自治区とASEANの貿易は急速に増え続けている。ASEAN諸国では何回も広西チワン族自治区商品博覧会が催された。ASEANは次第に同自治区の最大の輸出入市場となった。

2003~2008年の間、同自治区とASEANの貿易は年平均37%増加し、貿易額は8億2300万ドルから39億8700万ドルに増えた。最新のデータでは、2009年には貿易額は49億5000万ドルに達したという。

このほか同自治区の貿易港を経由したASEANの貨物は、2003年の351万トンから2008年には1724万トンに増え、同自治区はすでに中国―ASEANの地域貿易の太いルートとなっている。

西部大開発と不可分

広西チワン族自治区は中国―ASEAN自由貿易区の設立というチャンスをつかんで、自らの経済の急速な発展を実現したが、その発展は国の西部大開発戦略とも切り離すことはできない。西部大開発戦略が実施されて十年の間に、同自治区内のインフラ建設の足取りは速まった。社会固定資産投資の総額は、1999年の620億元から2008年には3778億元へと増加した。多くの道路や鉄道、港湾のプロジェクトが建設され、自治区の貨物輸送と物流の能力は大いに高まった。かつては中国の西南の辺境で、交通不便な場所だったところが、いまや交通が四方八方に通じる国際的なターミナルになった。

東興貿易港では、中国とベトナムの労働者が船の貨物を車に載せている(東興市宣伝部提供)

 ASEANとの貿易と経済協力を発展させる面で、同自治区は国から強力な支援を受けてきた。2004年の中国―ASEAN博覧会は、広西チワン族自治区をASEANや世界に示す舞台を提供した。

 2008年5月から2009年2月までのわずか一年足らずの間に、中国政府は広西チワン族自治区に欽州保税港区や凭祥総合保税区、南寧保税物流センターを設立することを相次いで認可した。さらに北海輸出加工区に対しても保税物流機能を賦与した。これによって同自治区は、中国―ASEAN自由貿易区が正式に発足する前に、北部湾経済区の保税物流システムを構築することができたのである。

 

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