中日友好に不屈の「鑑真精神」を
東大寺の坐像が揚州に里帰り
文=島影 均
中日友好の象徴とされる鑑真和尚(688~763年)の坐像(東大寺所蔵・重要文化財)が、2010年11月26日から12月7日まで、生まれ故郷の江蘇省揚州市の大明寺鑑真図書館で展示された。人口460万人の歴史の街では、さまざまな行事が繰り広げられ、『鑑真ウィーク』にわいた。『人民中国』総編集長・王衆一と日本人専門家・島影均が現地から報告する。
坐像の除幕式は11月26日午前、小高い岡の上に広々と展開している大明寺の一角にどっしり構えている鑑真和尚図書館の前庭で開かれた。遠くから見ると奈良・東大寺を思わせるたたずまいだ。金属探知機の安全検査を経て会場に入った。日本側は平城遷都1300年行事の一環として位置づけ、冬柴鉄三元国土交通相、荒井正吾奈良県知事ら奈良県代表団のほか、揚州市と姉妹都市の奈良、唐津、厚木3市からの参加者を合わせて約260人が出席した。
中国側は唐家璇前国務委員、葉小文中央社会主義学院党組書記、井頓泉中国人民対外友好協会副会長、中国仏教会会長・伝印法師、黄星原中国人民外交学会秘書長らが列席した。また地元を代表して、張連珍江蘇省政協書記、張衛国副省長、王燕文揚州市委員会書記、謝正義市長らが出席。ほかに来賓として台湾仏光山開山宗長・星雲大師が招かれ、世界平和の祈願を行なった。
会場には中国全土から少数民族を含め2000人を超える赤や黄の法衣、民族衣装をまとった僧尼が訪れ席を埋めた。また日本からの参加者の中には振袖の女性、袴姿の男性もおり、中国人参加者の注目を浴びていた。
式典は今回の坐像の里帰りのために作曲された筝曲『東渡』が天女のような衣装の大勢の女性が奏でる箏の大合奏と男女混声の大合唱で始まった。コートが必要な寒さだったが、青空が広がり、雄渾な演奏を聴きながら、参加者はそれぞれ1250年以上前の友好使節・鑑真に思いを馳せた。
行事の一環として、唐家璇前国務委員(第5期中日友好21世紀委員会中国側座長、中日友好協会名誉顧問)を講師とする『揚州講壇』と、両国の研究者、仏教界代表らが討論する『第2回揚州・奈良鑑真精神フォーラム』が開催された。
唐家璇氏は『鑑真和尚と中日友好』と題して講演し、会場の鑑真図書館講堂には中日両国から約千人が詰めかけ、熱心に耳を傾けた。講演では鑑真が日本に渡った時代の歴史的背景、意義について語った後、日中双方にとって、不屈の「鑑真精神」の重要性は今でも変らず、次世代に引き継いでいかなければならないと強調した。
さらに両国関係が困難に直面している現状は望ましくない、として「友好を堅持するという信念」「戦略的互恵関係の成就」と合わせて、「両国人民の間の友好感情の増進」「違いを認め合った上で大同を求める」「相手の長所を見つけてお互いに学び合う」という民間交流の意義を力説した。
『鑑真精神フォーラム』は揚州迎賓館を会場に開かれ、『鑑真と中日文化交流』をテーマに熱心な意見交換が行なわれた。10人のパネリストのほかに多数の仏教界代表が円形の座席に座り、真剣に討議を見守った。
このほか、揚州市内では鑑真図書館を結ぶ道路に『鑑真路』と命名されるなど歓迎行事が相次いだ。坐像は上海からは車で輸送され、この道路を通ったが、地元では「1250年前、鑑真は一艘の小船で旅立った。30年前は坐像は船で長江を越えた。今回は長江大橋を車で渡ってやってきた」と言う声が聞かれ、特に改革・開放を経て発展した故郷を鑑真に見せることができたと誇らしく感じているようだった。また鑑真路の両側には1500本の桜の苗木が植えられ、将来、3万本に増やす計画だそうだ。
鑑真坐像の里帰りは今回が2度目。1度目は今から30年前、中国が改革・開放政策に着手した翌年の1980年、唐招提寺の国宝の坐像が揚州と北京で公開され、約50万人が参観した。今回は東大寺所蔵の重要文化財に指定されている坐像で、上海万博会場の日本館に展示されていた。日本に戻る前に、故郷の揚州に立ち寄った。
坐像は上海博物館が開発した特製のガラスケースに慎重に納められて展示され、初日から長蛇の列ができ、参観者は坐像の前で思い思いに手を合わせていた。
鑑真は唐代の著名な高僧。14歳で出家し、長安(現在の西安)で修行を積み、40年間に渡る授戒、説教を通じ「全国に遍く教え子がいる」と言われるほどの高僧だった。55歳の時、故郷・揚州の大明寺で日本僧の栄叡、普照の招きを受け、日本へ渡る「東渡」を決意した。
仏教が普及し始めていた奈良時代の日本は遣唐使を通じて、仏教界の秩序確立のため、訪日を要請していた。「東渡」は苦難の連続で、5回失敗し、11年後の6回目の挑戦でやっと成功した。鑑真はその時すでに66歳、両眼は失明していたと伝えられている。東大寺大仏殿に戒壇を築き日本仏教に戒律制度を定着させ、唐招提寺の建立にも尽力した。
仏教以外にも薬草、印刷、書道、彫刻など唐の最新文化、技術を日本にもたらした。長い両国交流史には秦代の徐福はじめ伝説的な人物も登場するが、鑑真は不屈の精神力と影響力の大きさから、中日友好の元祖と賞賛されている。
人民中国インターネット版 2010年12月1日
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