中国国際救援隊インタビュー 日本での救援活動を振り返る

 

中国国際救援隊の一行15人が21日1時30分、日本から帰国した。中国国際救援隊は日本側の協力のもと、被害が深刻だった岩手県大船渡市の重点区域(約4平方キロメートル)での捜索を行い、国際人道主義救援任務を完了した。同隊は、大船渡市に一番に到着し、大船渡市から最後に帰国した外国の専門救援隊として、現地の人々や各国救援隊から高い評価を得た。隊員に対するインタビューを通じて、大船渡における8日間の救援活動を振り返る。

▽被災地、まるで爆撃を受けたような状態

記者:救援隊はこれまで、国内外で発生した地震・津波の被災地を何度も訪れ、救援活動を行っていますが、今回の日本の被災地はどのような状況でしたか?今までと違うところはありましたか?

尹光輝(救援隊のリーダー、中国地震局緊急救援司副司長):これまでに訪れた被災地とは確かに違いました。大船渡市は小さな海湾で、三方を山に囲まれ、一方は海に面しています。人口は4万人あまりで、かつては豊かな都市でした。しかし、地震による津波が都市を襲い、沿海から約10キロの範囲内にある地域は全て破壊されました。大船渡市は今回の地震で被害が最も深刻だった被災地の一つです。

現場の地形は特殊で、海に面した丘陵地帯でした。津波が襲来した時、波は山を迂回し、高スピードで海岸を何度も直撃しました。地震後すぐに避難できなかった人は海水と泥に埋没してしまい、津波の中で生き延びられた人は非常に少なかったと思います。

陳慶開(救援隊隊長):津波の威力はすさまじく、我々の想像を上回っていました。現地の建物は基本的に木造構造で、海水に漂い、衝突し、破損していました。海に面していた家屋は全て無くなりました。まるで爆撃を受けたように、いたるところに破片がありました。津波の破壊力は地震の破壊力よりも大きく、廃墟の中には生存者が避難できる空間がほとんどありませんでした。

彭碧波(救援隊首席医療官、武警総医院医務部副主任):地震と津波の二重の打撃を受け、現地の家屋のほとんどが100メートル以上移動していました。路面はめくり上がり、電柱は倒れ、廃墟にはいたるところに自動車の残骸や各種の物品が散乱していました。

 

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