▽人力による徹底的な捜索
記者:現地では、どのように救援活動を展開しましたか?
尹光輝:我々は13日19時30分に岩手県花巻空港に到着しました。日本側が輸送車1台、バス1台を用意し、大船渡市まで送ってくれました。到着したのは夜の11時ごろでした。私は被災状況と救援の進展状況を知るべく、すぐに現地の消防署に向かいました。
我々は捜索犬を連れておらず、人力で徹底的に捜索するしかありませんでした。捜索の効率を高めるため、我々は2グループに別れました。第1グループ(偵察グループ)は、現場の調査や現地住民への聞き込みなどを通じ、重点家屋の位置を事前に見極め、第2グループ(捜索グループ)は、重点捜索、人力調査、生命探知機による調査などを行いました。
我々は調査作業を精確に行い、調査を終えた建築物には、中国救援隊が捜索したことを表す赤いマークを付け、時間も明記しました。
8日間の捜索期間中、我々は現地の消防隊とも協力し、工場、作業場、自動車などを含む140カ所あまりの重点廃墟で被災者の捜索を行いました。
記者:救援隊は1人の遺体を発見したそうですが、当時の状況を教えてください。
陳慶開:3月15日7時10分ごろ、ローラー式捜索を行っている時に、損壊した家屋の2階で老人1人の遺体を発見しました。その家は津波で破壊されており、遺体は部屋の隅に押し付けられていました。現地の人や家族が何度も探したのに見つからなかったそうです。
我々は遺体をきれいにし、大船渡市の消防署に引き渡しました。現地職員によると、海外救援隊による大船渡の捜索で遺体が見つかったのはそれが初めてだったそうです。
記者:隊員の1日の活動時間は何時間でしたか?
尹光輝:毎日11時間以上です。大体朝6時半ごろ出発し、夜6時前後にベースに戻りました。最初の数日間は目的地への移動、ベース設営、環境への適応などで睡眠時間がとれず、平均睡眠時間は3時間ほどでした。その後は状況が改善し、一日8時間ほど眠れるようになりました。
彭碧波:隊員にはいくつもの技能を持つ人も多く、構造の専門家、通信の専門家などもいます。私自身も救援隊員と随行医という2つの身分を持っています。
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