中国国際救援隊インタビュー 日本での救援活動を振り返る

 

▽放射線予防マニュアルを制定

記者:これまでの救援と比べ、今回の救援活動で大変だったことは何ですか?どのような困難に直面しましたか?

尹光輝:捜索現場の環境は複雑でした。救援の初日だけで8回の余震、1回の津波警報がありました。また、15日夜からは3日連続で大雪が降り、救援の難度が上がり、隊員たちも苦労しました。夜の気温は零下4度にまで下がり、風も強く、テントが何度も倒れてしまいました。

救援隊の主な食品はパン、ソーセージ、加熱剤つき食品、カップヌードルなどで、そのほかディーゼル発電機、海事衛星電話などを携帯していました。しかし、現地では燃油不足だったため電力が途切れたほか、補給の不足も深刻でした。

大船渡市では燃料と生活用品が本当に不足しており、営業が続けられている数少ないガソリンスタンドでは救援車両にのみガソリンを提供していました。多くの店は営業しておらず、買い物待ちの人がスーパーの前で列を作っていましたが、生活用品の購入数は制限されていました。現地では通信がずっとつながらず、外との連絡手段は衛星電話しかありませんでした。

陳慶開:大船渡に到着後は、水を節約するため、隊員たちは何日も顔や足を洗わず、歯も磨きませんでした。食べ物に関しても、カップヌードルは水を多く使うため、もったいなくて食べず、少しの水で加熱できる加熱剤つき食品を食べました。

彭碧波:被災地では福島原発の事故が発生し、被爆する危険が高まりました。隊員たちは皆、危険が迫っていることを感じていましたが、皆最後まであきらめませんでした。我々は放射線に対するマニュアルを制定し、隊員たちに向けた放射線安全保護研修を実施しました。その後、我々の安全を保障すべく、中国地震局から放射線防護服20着が届きました。我々は大船渡市での捜索任務を順調に完了し、最後に帰国した海外救援隊となりました。

 

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