【第3回党大会】
1923年6月12日から20日まで、党は広州で第3回党大会を開いた。出席した代表は30数人、そのうち代表権を持つものは19人で、420人の党員を代表していた。陳独秀が大会を主宰した。
大会の中心的議題は、全ての共産党員や労働者が国民党に参加するかどうかだった。討論の中で多数の代表は、国民党との合作に積極的でない張国燾らの誤った意見を批判するとともに、 コミンテルンの中国駐在代表のマーリンや陳独秀が提起した『すべて活動を国民党に帰す』という右翼的な観点にも賛成しなかった。
最終的に大会は、共産党員が個人の資格で国民党に加入し、それによって民主的な各階級の統一戦線を作り上げ、同時に共産党が組織的にも政治的にも独立性を保つことを決定した。
大会は9名の正式委員、5人の候補委員からなる新しい中央執行委員会を選出した。中央執行委員会は、陳独秀、毛沢東、羅章竜、蔡和森、譚平山の5人からなる中央局を選出し、陳独秀が委員長、毛沢東が秘書に、羅章竜が会計に任じられた。
大会は革命の統一戦線の方針と政策を確定して、国共合作の形成を促したが、プロレタリア階級の指導権の問題や農民問題、軍の問題について、十分重視してはいなかった。
【第4回党大会】
1925年1月11日から22日まで、中国共産党は第4回党大会を上海で開いた。出席した代表は20人で994人の党員を代表していた。
大会の中心的議題は、日ごとに高まる革命運動に対し、党がどのように指導を強化するか、そして宣伝工作、組織工作、大衆工作の面において大革命の高まりを迎える準備をどのように行うか、であった。陳独秀が会議を主宰した。
大会は、前年5月の中央拡大会議が行った党工作の中の、右の誤りに対する批判を肯定し、改めて中国共産党が国民党と合作すること、労働運動、農民運動などに関しいくつかの方針を定め、プロレタリア階級の指導権と労農同盟の重要性を指摘した。
大会は陳独秀、李大釗ら14人による新しい中央執行委員会を選出した。続いて開かれた中央執行委員会で、陳独秀が中央総書記に選出され、陳独秀、彭述之、張国燾、蔡和森、瞿秋白の5人からなる中央局が組織された。
この大会の主要な欠陥は、指導権の問題を提起したにもかかわらず、指導権をどのように獲得するかについて、具体的で明確な方針に欠け、大衆運動に対する指導権だけを論じて、政権と武装力に対する指導権を完全に無視したところにある。農民が革命の同盟軍であることを提起してものの、土地革命こそが農民問題を解決するという根本思想を提起できなかった。
|