これまでの全国党大会 |
【第5回党大会】 1927年4月27日から5月9日まで、党は第5回党大会を武漢で開いた。出席した代表は80余人、5万7900余人の党員を代表していた。 大会の主な任務は、コミンテルン執行委員会第7回拡大会議における中国問題に関する決議案を受け入れ、陳独秀の日和見主義の誤りを是正して、党の重大な方針と政策を決定することであった。陳独秀が開幕式を主宰した。 大会では、代表たちが陳独秀の右翼の投降主義に対して一定の批判を行った。蔡和森は「プロレタリア階級の政党こそが、革命を徹底的に指導し、勝利をかち得る事ができる」と発言し、毛沢東は、陳独秀の農民の問題に関する誤りを批判し、農民を組織し、武装させ、農民の闘争を迅速に強化することと主張した。 大会は29人の新しい中央委員会を選出し、大会に続いて開かれた一中全会で、陳独秀ら7人の中央政治局委員、周恩来ら4人の政治局候補委員を選出、さらに陳独秀、張国燾、蔡和森、瞿秋白の4人を政治局常務委員に、陳独秀を総書記に、周恩来を秘書長に選んだ。 この大会は、陳独秀の右翼的な誤りを批判したものの、武漢の国民党と国民政府の改造、革命武装力に対する党の指導を組織し、拡大することなど、革命の指導権奪取のために解決しなければならない切迫した重大問題に対して、実際的に答えを出すことができなかった。陳独秀の右翼的な投降主義の本質と危害に対しても、深い認識に欠けていた。 【第6回党大会】 1928年6月18日から7月11日まで、第6回党大会がモスクワで開かれた。出席した代表は142人だった。 会議は政治、軍事、組織、土地問題、農民問題と労働運動に関する14項目の決議を採択した。これらの決議は「中国社会の性質は依然として半植民地、半封建の社会であり、現段階における中国革命の性質は、ブルジョア民主主義革命である。現在の政治情勢は、革命の高潮期と高潮期の谷間にあり、党の全体的任務は進撃ではなく、大衆を獲得し、暴動を準備することである」と指摘した。 会議はまた中国革命の現段階における十大政治綱領を制定した。その綱領では、党の建設、労働運動、農民の運動、紅軍、根拠地の建設についての各項の政策を制定し、"左"と右の日和見主義の誤り、とくに盲目主義の誤りを批判した。 会議はまた、委員23人、候補委員13人からなる中央委員会を選出した。そして中央政治局常務委員会は向忠発、周恩来ら8人で構成され、主席に向忠発が選ばれた。 この大会が制定した路線は基本的に正しく、後の中国革命の発展に対して積極的な役割を果たした。しかし欠陥もあった。即ち中産階級の役割や反動勢力内部の矛盾に対して正しい見方と政策に欠けていた。とくに中国革命の長期性と農村革命根拠地の重要な意義に対する認識が足りず、依然として都市工作を全党の活動の中心に据えた。これは、中国革命の発展に消極的な影響を及ぼした。
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