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人民解放軍揺籃の地  江西省・井岡山

 

金田直次郎=文 沈暁寧=文・写真

中国共産党が新中国成立に導いた革命は大きく四つの時期に分かれる。

 ①大革命の時期(一九二三~一九二七年)  国共合作による「国民革命」が進展する。

 ②土地革命戦争の時期(一九二七~一九三七年)  革命の急速な進展に恐れをなした蒋介石が、一九二七年四月十二日、上海で反革命クーデターを起こし、共産党と労働運動を大弾圧。共産党は土地革命を行うとともに労農紅軍を組織、長征を経て党中央は陝西省北部に移動。

 ③全民族の抗日戦争の時期(一九三七~一九四五年)  国共両党は「内戦停止、一致抗日」で合意、第二次国共合作が実現。

 ④全国解放戦争の時期(一九四五~一九四九年)  半封建・半植民地の旧社会をくつがえして、一九四九年十月、中華人民共和国が成立。

井岡山は土地革命戦争期の初期に打ち立てられた「最初の農村革命根拠地」として知られる。

一九二七年四月十二日、欧米列強の支持を取り付けた蒋介石は、北伐途上の上海で反共クーデターを起こした。多くの共産党員と労働者が虐殺され、共産党は壊滅的な打撃を受ける。

同年八月一日、江西省の南昌で周恩来、朱徳らが率いる国民革命軍が蜂起。八月七日、中共中央(中国共産党中央委員会)は湖北省の漢口で緊急会議を開いて、農村で土地革命を行い、武装蜂起するという方針を打ち出した。  

中共中央のこの方針に基づいて、九月九日、湖南省南部・江西省西部の農村で武装農民が蜂起。指導したのが毛沢東だった。秋の収穫時期に行われたこの蜂起は「秋収蜂起」と呼ばれる。二つの蜂起は根強い反動派の反撃に遭い、あいついで失敗してしまう。毛沢東が武装農民を率いて立てこもったのが井岡山だった。

井岡山は湖南・江西両省の省境を画する羅霄山脈のほぼ中央に広がる山岳地帯。ふもとの村々を支配する土豪劣紳の力も山間部までは及ばなかった。

 

 最初の農村革命根拠地を樹立    

毛沢東は「山上の大井、小井、……茨坪、……草坪、白泥湖、羅浮の各地には、みな水田や村落があり、もともと匪賊や敗残兵の巣窟となっていたところであるが、いまでは、われわれの根拠地となっている」と『井岡山の闘争』の中で書いている。  

「一国のなかで、一つの小さな、あるいはいくつかの小さな赤色政権の地域が、周囲を白色政権にとりかこまれながら、長期にわたって存在することは、いままで世界のどの国にもなかったことである」(『中国の赤色政権はなぜ存在することができるのか』)

毛沢東は、中国の特殊な状況をきめ細かく分析し、半封建半植民地の中国では、白色政権の支配が及ばない山間部に強固な革命根拠地を築くことから始めて、この根拠地をしだいに拡大し、農村で都市を包囲、最終的に都市の政権を奪取するという革命戦略を打ち立てる。この革命の勝利のためには「労農紅軍」(正規の武装組織)を鍛えあげなければならず、「労農武装割拠」を保証する強力な共産党組織が現実を見誤らない正しい政策を堅持しなければならないことを毛沢東は強調した。  

「井岡山風致地区」の中心エリアである茨坪に建つ「井岡山革命博物館」には、最初の革命根拠地・井岡山がどのようにして建設されたのかを明らかにする多くの展示品が並ぶ。

  

茨坪中心エリアに建つ井岡山革命博物館。3万点余の文物を収蔵し、労農紅軍草創期の革命史を多角的に紹介する

集められた陳列品の中には、毛沢東が『中国の赤色政権はなぜ存在することができるのか』(発表時の題名は『政治問題と省境地区の党の任務』)や『井岡山の闘争』を書いたときに用いたランプとすずり、労農紅軍や赤衛隊(革命根拠地の民兵組織)が使った銃などの貴重な実物もある。

 

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