なぜ多党協力制なのか

 

王焱=文 新華社=写真提供

中国には多くの政党が存在し、中国共産党指導下の多党合作と政治協商制(以下、多党協力制と略す)が実行されている。執政党としての中国共産党のほか、中国国民党革命委員会(民革)、中国民主同盟(民盟)、中国民主建国会(民建)、中国民主促進会(民進)、中国農工民主党(農工党)、中国致公党(致公党)、九三学社、台湾民主自治同盟(台盟)の八つの政党がある。これら八つの政党は、民主党派と呼ばれる。

毛沢東を囲んで記念撮影する民主党派の代表ら。1949年1月22日、各民主党派や人民団体、無党派民主人士の代表ら55人が、連名で声明を発表、中国共産党の指導的地位を承認し、共同で新中国を樹立するための重要な政治的基礎を打ち固めた

民革の党員で北京師範大学民革支部主任委員、北京市政治協商会議委員の万建中教授は次のように述べる。「私たち各民主党派は野党でもなく、反対党でもなく、参政党なのです。政治上で中国共産党の指導を擁護し、さまざまな方式を通じて政治に参与し、党と政府の施政・政策に意見を述べる立場にあります」

中国人民政治協商会議第11期全国委員会(第11期全国政協)の第4回全体会議が今年3月に開催された。会議期間中、全国の各民主党派、各団体、各民族、各界の約2000人の全国政協委員が北京に集まり、国家の大事を討議した。各民主党派の中央委員会や中華全国工商業連合会も積極的に意見を述べ議案を提出した。議案は計260件以上にも上った。各階層の願望と要求を反映し、また委員全体の力量と知恵が凝集したこれらの議案は、中国共産党と国家機関が政策決定の科学化・民主化を進めるうえで大きな作用を及ぼす重要なルートなのだ。

地方にも、各民主党派と各界の代表が政治に参与し意見を述べ議案を提出する重要な場としての各級政治協商会議が設けられている。万教授は毎年7、8件の議案を提出している。「関連部門は議案の処理状況を私に報告します。その結果に満足できれば、報告書にサインしますが、満足できなければ、関連部門は引き続き改善することになります」と、万教授は語る。

世界中の多くの国で実行されている二党制や多党制に比べ、中国で行われている共産党指導下の多党協力制は独自の道を歩むものだ。これはまさしく歴史のしからしめるところにほかならない。

混乱の時代を経て

1911年の辛亥革命後、孫文(中山)や宋教仁らの革命家は、西洋の政治制度を参考にし、政党の組織を許容して、責任内閣制の政治制度を実行することを主張した。1912年に『中華民国国会組織法』が公布されると、短期間に大小300余りの政党が誕生することになる。しかし、こうした政党は将来への展望を示す政治綱領を欠き、民衆が切実に解決を求める問題を無視したため、一般大衆からは冷ややかな目で見られるだけだった。1913年、選挙で勝利した国民党の指導者、宋教仁が上海で暗殺された。ほどなく中華民国総統の地位にあった袁世凱は国民党解散令を出し、翌1914年の年初には国会を廃止する宣言を下した。民衆の支持を得られなかった民国初年の多党制は、こうして一時のあだ花に終わったのだ。

1921年に成立した中国共産党は中国の労働人民と抑圧された民衆の中に深く根を下ろした初めての政党だった。中国共産党は当時苦境にあった孫文に援助の手を差し伸べ、国共両党の第一次合作が実現する。

ところが、孫文死去後、国民党の主導権を握った蒋介石は、1927年、上海で反共クーデターを起こし、多くの共産党員と民衆を虐殺した。国共内戦が始まり、この内戦は10年間にも及んだが、1937年、抗日戦争が勃発し中国が民族存亡の瀬戸際に立たされたことを契機に、国共両党の第2次合作が成り、共同で外敵の侵略に抵抗することになる。この時、中国の政治舞台には再び多くの新しい中間政党が登場した。蒋介石の独裁政治を批判するこれらの政党は、国共両党以外の政治勢力、すなわち民主党派として成長を遂げることになる。

抗日戦争勝利後、毛沢東は内戦を避けるために重慶へ赴き、蒋介石と交渉を行った。平和で民主的な新国家の樹立を願う社会各界の希望もむなしく、蒋介石は横暴にも内戦を発動した。抑圧は共産党だけでなく、各民主党派にも及び、多くの民主党派が取り締まりの対象となった。

政治協商会議を招集

中国共産党中央委員会は北京の中南海・懐仁堂で党外の人々とともに民主協商会議を開いて、さまざまな国事を協議する

中国共産党中央委員会は1948年4月に発表した『メーデーを記念するスローガン』で、「各民主党派、各人民団体及び社会各界の代表的人物は、すみやかに政治協商会議を開き、人民代表大会の招集を討議・実現して、民主連合政府を樹立しよう」との大方向を示した。

この呼びかけは各民主党派に受け入れられ、多くの民主党派のリーダーが中国共産党が指導する「解放区」へと赴いた。1949年1月、李済深(民革主席)、沈鈞儒(民盟主席)ら各民主党派のリーダーが共同で声明を発表し、「中国共産党の指導のもとで、微力を尽くし、ともに国事に携わり、もって中国の人民民主主義革命を速やかに成功させ、独立、自由、平和、幸福の新中国が一日も早く実現することを期する」と表明した。

1949年9月21日、中国人民政治協商会議第一期全体会議が北平(現在の北京)で開催された。662人の委員のうち、各民主党派の委員が約30%、工業、農業と各界の無党派の委員が26%を占めていた。

会議の準備・招集の過程で、中国共産党は終始会議に参加する一政党として、各民主党派・各界の民主人士と平等の立場で協議し、協力して国家の大事に当たった。国名を中華人民共和国とし、10月1日を国慶(建国記念)の日に決めるなどの多くの討議でも、中国共産党は各民主党派と無党派の民主人士の意見に耳を傾けた。

選出された中央人民政府委員会委員、中央人民政府副主席及び任命された政務院(国務院の前身)副総理のうち、各民主党派と無党派の民主人士がそれぞれ半分を占めた。21人の政務委員のうち、11人が民主人士で、また政務院直属下の34の機関の109の正・副指導ポストの49を民主党派または民主人士が占め、うち15は正のポストだった。これはまさしく民主連合政府が実行しようとしていた民主政治の直接的な表れだった。

中国人民政治協商会議の決定に基づいて誕生した中華人民共和国中央人民政府は、中国の歴史上初めての民主連合政府であり、この誕生過程を通じて、中国共産党が指導する多党協力制の基礎が定められたのだ。

時代とともに進む

中国共産党指導下の多党協力制は、多党制の試みや2度の国共合作の失敗を経て、中国共産党と各民主党派が中国の実情に基づいて、共同で作り出した中国の特色ある政党制度だ。中華人民共和国の成立後、中国共産党指導下の多党協力制はさらに発展し、より完全なものになっている。

1982年、中国共産党第12回全国代表大会はその報告で、中国共産党と各民主党派の関係を導く基本方針を打ち出した。それは、長期に共存し、相互に監督し、肝胆相照らし、栄辱を共にする、というものだ。

1989年12月、中国共産党中央委員会は『中国共産党指導下の多党協力制を堅持し、より完全なものにすることに関する意見』を策定して、「中国共産党は社会主義事業を推し進める指導的中核であり、執政党である」とし、各民主党派は「中国共産党の指導を受け入れ、中国共産党と力を合わせて協力し、共同で社会主義事業に取り組む親密な友党であり、参政党である」と指摘した。

2007年11月、中国政府は『中国の政党制度』白書を発表し、中国の多党協力制の価値と機能を、政治的参与、利益の表現、社会的整合性、民主的な監督、安定の維持という五つの側面から明らかにした。2008年、全国の省クラスの指導層の改選においては、民主的な推薦と省人民代表大会での選挙によって、数多くの民主党派、工商業連合会メンバー、無党派民主人士が省人民代表大会や省政府、省政治協商会議の指導層に入った。各省・自治区・直轄市の人民代表大会常務委員会にも非共産党員の副主任がおり、大多数の省・自治区・直轄市政治協商会議の半分以上の副主席は非共産党員だ。

いっそうの充実に向け

全国政協は数回にわたり委員による長江三峡の視察と調査を組織し、三峡計画の科学的な論証と正確な政策決定の促進のために重要な役割を果たした
中央政府や政府機関だけでなく、各業種のさまざまな現場でも、政治に参与し、政府の施策に意見を述べる役割を果たす民主党派や無党派民主人士が活躍している。

万建中教授は次のように述べる。「私が勤める北京師範大学を例にしても、職員には共産党員もいれば、民主党派の人もいます。しかし、私たちの目標は同じなのです。それはどのようにすれば、この大学をより良く建設できるかということです。新しい政策の実施に際しては、大学の指導層は必ず事前に会議を開き、民主党派や無党派民主人士の意見を求め、協議を通じて共通の認識を得てから実施に移されるのです」

「私たち八つの民主党派と中国共産党は同じ目標を持っています」と万教授は語り、「しかし、具体的な問題を考える場合、民主党派はあまり束縛がなく、相対的に自由かつ独自の角度から考察できます。建設的な意見を提出し、わが国の発展のために知恵を出し、力を尽くすことができるのです」と結んだ。

さまざまな会議に出席して政治に参与し、施政・政策に意見を述べるだけでなく、多くの民主党派や無党派民主人士が各政府部門の要請を受けて特約監察員としての役割を果たしている。万教授も北京市政府の要請で特約監察員を務めた。「週に一日、政府部門に出勤し、来訪する市民を応接して、彼らがどんな困難に直面しているのかを聞き、彼らの置かれた状況を上部に報告し、解決策を求めます」

監察員たちはまた、普通の市民を装い、ひそかに北京市政府や民政関連のサービス窓口を訪ね、公務員の仕事ぶりを考察する。例えば、仕事の効率は高いかどうか、サービスの態度は良いかどうか、ホールにはウォーターサーバーや休息用の椅子は設けられているかどうか。また、来訪する市民から、公務員の応対に満足しているかどうかなどについても聴取する。「その部門の応対に差し障りがあることに気づけば、点数をつけたり、コメントしたりする形で、改善を促します」

民主的な監督を欠く政治体制は、必ず執政能力の弱体化を招く。執政党として、中国共産党は今日なお、どうしたら各民主党派の民主監督機能をより良く発揮させることができるかを探求し、その中で絶えず新しい施策を打ち出し、中国共産党指導下の多党協力制をいっそう充実させ、さらに発展させるよう努めている。

 

人民中国インターネット版 2011年7月

 

 
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