古人の知恵に学ぶ

訪日団が奈良の唐招提寺を訪れたのは、ちょうど炎天下の真夏だった。しかし、唐招提寺の境内に入ると、急に涼しく感じる。境内は鬱蒼として、地面は草の絨毯、寺院の建物は巨大な緑の中に隠され、蝉の大合唱が却って人に「蝉噪林愈静」(蝉噪くして林逾静か)という趣を感じさせる。

7月31日、奈良・唐招提寺で、西山明彦執事長(中央)と鑑真大和上を偲ぶ

唐招提寺の西山明彦執事長が訪日団を心温かく迎えてくれた。西山執事長の案内で、金堂、講堂、鐘楼、鼓楼などを見学しながら、唐招提寺の創立者である中国の高僧鑑真大和上(688~763年)渡日の物語を偲んだ。1200年あまり前に日本に渡った鑑真大和上は、日本で仏法を広め、中国文化を伝え、仏学、医学、建築、彫刻などの分野での交流と発展に寄与した。

その後、代表団は北東の奥にある「開山御廟」に行き、鑑真大和上の墓を拝謁した。静寂に包まれ、それほど大きくはない。地面より三、四㍍の小さな盛り土の上にある墓には、故郷・揚州から贈られた瓊花がひそかにそえられていた。墓地の右後ろに、「趙樸初居士之碑」と書かれた石碑がある。西山執事長によれば、これは中国の有名な仏教指導者趙樸初(1907~2000年)先生の「衣冠塚」で、これは唐招提寺の建寺以来、鑑真大和上の墓地に石碑を建てた初のケースであるという。西山執事長は重病中の趙樸初先生を見舞った時のことを思い出して言った。「『いつでも、世の中がどんな情勢になっても、中日の宗教交流を中断させてはいけません』と、病室の中で私につくづくと言いました」

実は、代表団は講堂で、本尊の弥勒如来坐像の前に中国揚州大明寺の能修住職が東日本大震災遭難者のために祈願した霊牌があるのを見た。鑑真大和上が切り拓いた中日仏教交流の道は、千年の永きにわたっても絶えず、引き継がれている。

今回の訪日をふり返って、中日両国とも古人の知恵をよく学んで、交流を拡大させ、偏見や誤解をなくし、相互理解を増進させ、中日友好をともに前進させるべきだと、団員一人ひとりが心に刻んだ。

 

 
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