改革開放政策、中国の特色ある社会主義建設

 

「四人組」反革命集団を粉砕し、中国は歓喜に沸いた。1978年12月、中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議が招集された。ここで、早急かつ果断に党と国家の任務の重点を社会主義現代化建設に移すべきであるとの認識で一致した。この時、鄧小平は実質的に中央指導グループの中心となっていた。

中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議は、建国以来の党の歴史上、深い意味を持つ大きな転換点だった。この会議では改革開放を実行するという新たな政策決定がなされ、中国は「階級闘争をもって綱とする」から経済建設を中心とし、硬直化や半硬直化から全面改革へ、閉鎖や半閉鎖から対外開放へという歴史的な転換がなされた。

1979年3月、鄧小平は講話の中で4つの現代化を実現するにおいて、社会主義の道を堅持し、プロレタリ独裁、すなわち人民民主主義独裁を堅持し、共産党の指導を堅持し、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想を堅持するという原則を打ち出した。これら4つの基本原則は「4つの現代化実現の基本的な前提」とされた。ここから、4つの基本原則は経済建設を中心とする改革開放とともに、第11期中央委員会第3回全体会議の基本内容を構成した。

1979年6月、党中央と国務院は広東、福建両省の対外経済活動に対してさらなる自主権を与え、対外貿易を拡大することとした。同時に深圳、珠海に試みに輸出特区を設けることを決定した。1980年、この「輸出特区」は「経済特区」に名称変更され、深圳、珠海、汕頭(スワトウ)、アモイへの経済特区設置が決定された。全国各地から建設に携わる多くの人が押し寄せ、なみなみならぬ努力で深圳、珠海など立ち遅れた町や荒れ果てた漁村を、4年に満たない年月のうちに高層ビルが林立する、一定規模の現代都市へと変貌させた。

1984年10月20日、中国共産党は第12期中央委員会第3回全体会議を招集し、討論の後『経済体制の改革に関する決定』を通過させた。この『決定』では、都市を重点とするすべての経済体制の改革を加速する必要性、緊迫性を明らかにし、改革の性質、基本任務、各項目の基本方針・政策を規定している。また、改革は社会主義制度を自ら完全なものにするもので、改革の基本的任務は中国の特色ある、生気と活力に満ちた社会主義経済体制を打ち立てることであると明確に提示している。

1984年10月1日に中国建国35周年のイベントで「こんにち、小平さん」の横断幕を掲げ、鄧小平が主導する改革開放を歓迎する意を表した群衆。 

4つの経済特区建設後、1984年5月、党中央と国務院はさらに大連、秦皇島、天津、煙台、青島、連雲港、南通、上海、寧波など14の沿海・港湾都市を開放することを決定した。

1987年10月25日から11月1日にかけて中国共産党第13回全国人民代表大会が開催され、比較的系統的に社会主義初級段階の理論について論述し、党の社会主義初級段階の基本路線を完全に概括した。

大会は、中国が社会主義初級段階にあるという理論には二重の意味が含まれていると指摘した。第1に中国の社会はすでに社会主義の社会である。そして、社会主義を堅持すべきであって、それから離れてはならない。第2に、中国の社会主義社会はまだ初級段階にある。この実際状態から出発すべきであって、この段階を飛び越えることができない。これは、中国が生産力において立ち遅れ、商品経済が発達していない条件下において、社会主義建設で必ず通らなければならない段階である。生産手段私有制の社会主義改造の基本的に完成から、社会主義現代化の基本的に実現に至るまで、少なくとも百年以上の時間がかかり、それもこの段階に含まれるとした。

 

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