『北京週報』社 アントワーヌ・ロゼ(フランス)=文
震災が被災地に与えた最大の影響は、各市、県、鎮が、地震の危険のある地域は別として、震災後の再建に際して、どのような経済発展モデルを選択するかに対してだった。特に注意を払わなければならないのは、マクロ経済の観点で推進されている「西部大開発」との融合だ。例えば、遼寧省の自動車メーカーが北川県に組み立て工場を建設したのも、一致団結して災害に立ち向かおうと情熱だけにとどまらない意義を持っている。実際、こうした企業進出は沿海地区よりも労働力が安く、同時に地元市場の開拓もできるのが理由だろう。住民の立場から言えば、就業機会が増え、また、沿海地区に出稼ぎに出かけていた人々が故郷に戻ることもできる。興味があるのはこうした現象が、西部への産業移転とうまく合致していることだ。
われわれ取材団が訪れた多くの地方が震災後の再建の際に、観光業を主とした産業構造によって出口を見いだそうとしていることが分かった。九寨溝、臥龍自然保護区に近い水磨鎮は震災前は重要な工業基地だった。人々は主にアルミニューム、コバルトの採鉱に携わり、鎮の近くには多数のセメント工場も立地していた。震災後、成都市は水磨鎮に工場用地を提供し、以前の工場を再建する支援に乗り出した。この施策によって、水磨鎮は60数工場によってかつての生産額を持続でき、地元政府によると、管内のGDPの80%を占めるそうだ。同時に、潜在的に持っていた観光事業の可能性を追求することにした。住民の董立徳さんは工場移転によって、生活環境が改善されたことをわれわれ取材団に説明し「以前、ここの大気と水質の汚染はひどかったのですが、現在の生活環境は以前に比べてぐんとよくなりましたよ」と、語っていた。
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「綿竹年画」は震災後、重要な観光資源に(東方IC) |
綿竹市の年画村も同じように「綿竹年画」を観光資源として活用する道を選び、当地特産の年画を広めることにした。地元政府と再建の主要な支援都市の無錫市の助成を受けて小規模の年画製作工房を建設した。この工房は既に地元住民50人を採用し、また、多くの観光客を引き付ける目玉になっている。
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