島影均=文
年画のライバルが支援
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綿竹の年画村で、最年長の職人を取り囲んで取材する取材団(写真・王衆一) | 取材団の車が高速道路を降り、農道に入ると家々の白い壁に描かれた人物や動物の絵が目に飛び込んできた。綿竹市孝徳年画村だ。年画は春節(旧正月)に玄関先や室内に飾るおめでたい絵のことで、木版刷りの輪郭に彩色したものだ。当地の作品は「綿竹年画」として知られ、蘇州の「桃花塢年画」、天津の「楊柳青年画」と並んで有名だ。
人口約2500人のこの村も大地震に襲われ、明の時代から続く伝統工芸を守ってきた工房が倒壊し、工具や貴重な資料、版木など総額213万元の被害を蒙った。震災後、年画ではライバル関係にある蘇州が「一対一支援」に乗り出し、短期間で「綿竹年画」は蘇った。今では以前にも増して、東南アジア各国の観光客が多数訪れている。昨年は日本人客も多かったが、今年は東日本大震災の影響で激減しているそうだ。
池のほとりに住宅兼用の工房がゆったりと並び、震災後再建された家の白壁はまるでキャンバスのようにさまざまな絵が描かれている。魔よけ、吉祥の伝統的なテーマのほかに、歴史上の人物や、戯曲や小説の登場人物も生き生きとして、今にも語りかけてきそうな気分にさせる。子どもを題材にした絵は、ほのぼのとした田園の雰囲気をかもし出している。展示館もあるが村全体が年画展の会場のようだ。
伝統技術は地震にめげず、若い世代に引き継がれ、全国から志願者が訪れ、親から子へと受け継がれてきた年画が裾野の広い産業として成長し始めているそうだ。取材車が村を離れてから、かなり遠い集落でも、震災後に再建されたらしい家の壁に描かれた年画を見かけた。「年画壁画」が震災後の流行りになっているのかもしれない。
旧材を使い二王廟再建
2000年、世界文化遺産に登録された都江堰を望む山ろくにそびえる二王廟も震災で破壊され、国家的な事業として修復された伝統的な建築物のひとつだ。古代の灌漑施設・都江堰の建設を指揮した李冰と、その死後、大事業を引き継いで完成させた李二郎の親子を祭った荘厳な建築物群で、南北朝時代に建てられた。
うっそうとした木立の中に、巨大な堂宇がどっしり構えている。崩壊直後のパネルを見て初めて、完膚なきまでに破壊された様子を知ることができる。復元後はとても、震災に遭ったとは思えないたたずまいだ。しかし、実は地震で建築物の大多数が全半壊した。今では、対岸の都江堰から見える建築物も震災後は森の中に埋もれてしまい、地元の人々を嘆かせたそうだ。
世界遺産の崩壊は、長年この廟を誇りにしてきた四川人を悲しませただけでなく、国際的に惜しまれ、自然災害の残酷さに対する人々の怒りと同情を集めた。内外の反響を重視した中国政府はいち早く復元を決意し、文物の「救済保護第一号プロジェクト」に指定し、国家事業として復元に取り組んだ。地震から3カ月後の2008年6月から、がれきの整理に着手した。総投資額一億元余で完全復元を目標に、70%以上の部分は旧材を使い、耐震構造に配慮し、今年4月下旬、公開にこぎつけた。
成都から震災後初めて、家族連れで弔いに来ていた劉長征さん(64)は「昔のままです。本当に心から安心しました。私も震災で父親を亡くしましたが、ここへ来て、元気が出ました」と、語っていた。
二王廟がある山ろくを下り、有名なつり橋を渡ると都江堰に出る。岷江の流れを左岸一帯へと分水して、現在でも5300平方キロの農地の灌漑に活用されているそうだ。2300年後の今でも十分に機能している水利施設に驚かされる。地震で都江堰の先端の「魚嘴」部分にひび割れが入ったが、機能には大きな影響はなかったようだ。
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