沈暁寧=文
企業ぐるみで救援活動
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2008年12月28日、再建中の東気の工場を視察して、従業員らと握手する胡錦濤国家主席(写真提供・東気党委員会宣伝部) | 1965年に設立された東方蒸気タービン有限公司(東気)は綿竹市漢旺鎮に位置し、大型発電設備を研究、設計、製造する国営大手企業だ。地震で工場と住宅はがれきと化し、従業員とその家族の308人が犠牲になり、1400人余りが廃墟の下敷きになった。2200台以上の製造機械が壊れ、直接的な経済損失は27億元に達した。
震災後、東気は直ちに全従業員を招集し、懸命な救助活動を展開した。水道、電気、通信が完全に遮断された状況下で、2000人のボランティア救急隊が結成され、あらゆる交通手段をかき集め、地震発生後から十数時間以内に、高齢者、女性、児童の合わせて8000人余りを40キロ離れた安全な地域に搬送した。さらに、20棟余りの臨時避難所を組み立て、被災者約1万3200人を収容した。
被害が最も深刻だった東気中学校で、肖珉副総支配人は数日間一睡もせずに、がれきの下に埋められていた教師と生徒を救出するために現場で指揮を続けた。また、鋳造分公司では、救急隊が数回に渡って、倒れそうな工場と事務棟に突入し、従業員33人を救い出した。
3日後には入札に参加
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地震後、急いで生産設備を取り付ける東気の従業員(写真・劉岡) | 「横たわれば被災者、立ち上がれば巨人」というのが、災害後の全従業員の合言葉になった。地震発生から3日め、風力発電事業部の黄錚販売支配人は一人で北京に行き、国電龍源公司の入札に参加した。彼の出現は、みんなを驚かせた。「いつ操業を開始できますか、遅滞なく納品できますか」と、尋ねられた黄さんは、「漢旺基地は大きな被害を受けたものの、徳陽基地と風力発電機の生産ラインはまもなく生産を再開できます」と、しっかりと答えた。結局、東気は希望通り「地震後の第一号物件」――総額3億元に上る風力発電ユニット33台を落札した。これが東気再起の新しい起点だったと言えよう。
早く建設を始めるために、廃墟になった漢旺基地から設備と資料を運び出さなければならない。「溶接ロボット」は、東気の先端的な生産設備だが、上部にはいまにも落ちそうなプレハブ材や鋼板がぶら下がっていた。落ちると、ロボットは壊れて鉄の塊になってしまう。設備資源処の王健副処長は掘削器械のバケットをヘルメット代わりに、廃墟に入り込み、八時間がかりで電線300本を取り除き、ついに「溶接ロボット」の救出に成功した。
2008年8月1日、東気は徳陽市で正式に新基地建設に着手し、1.7平方キロの土地を45カ所に分割した工事現場で建設、運搬、組立、生産を同時に進めた。同年12月28日、胡錦濤国家主席は東気を訪ね、全員が「泰山に押さえつけられても曲がらない」不撓不屈の「東気精神」を持っていると褒めたたえた。
火を浴びてより力強く
2010年5月10日、再建後の東気は徳陽市の新基地で生産を始め、新しい歴史の1ページを開いた。新しい工場敷地を歩いて見ると、青と白のツートンカラーで塗装された巨大な作業場は力強さを感じさせる。ドイツ、日本、フランス、イタリアから輸入された先端的なデジタル制御フライス盤は、機械化のレベルを急速に向上させた。
再建中、ハードの近代化を進める一方、産業構造の高度化にも取り組み、新製品は世界で最先端の核心技術に照準を合わせた。2010年、百万キロワット級の半転速の原子力発電用の蒸気タービンを初めて製造し、その国産化率は七五%以上に達した。まるで火を浴びて生き返り、さらに高い空を目指して飛んで行った伝説の鳳凰を思い起こさせた。
2009年9月、温家宝総理は震災後五回目の訪問の際に、徳陽新基地で従業員たちに「東気が新たに立ち上がった様子は人々を興奮させます。われわれは自分で決めた約束を果たし、いかなる困難もわれわれを倒すことはできないという気概を明確に世界に示しました」と語った。数カ月後、新基地の竣工直前に、全員で温総理あてに一通の手紙を出した。「新しい1年がもうすぐやって来ます。1万人の全従業員は総理のことを心から懐かしく思っています。ここでお伝えしたいのは、全員の生活が幸福で、未来への期待で満ちています」と、書かれていた。
今年3月18日、災害を克服し、苦境から抜け出した東気は、日本で巨大地震と津波が起きると、緊密な提携関係を持つ日立に義援金40万元を送り、合わせて、被災した全ての日本企業の一日も早い復興と奮起を心から祈った。
人民中国インターネット版
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