日本―私があなたに言いたいこと―――津波被災地の少女への手紙
東北大学 劉倩
愛海ちゃん、お元気ですか?
あなたは私のことを知らないけれど、私はあなたのことを知っています。「まなみ」と読むんですね。4歳の女の子でしょ。今、親戚の家に住んでいるでしょ。お母さんに「ままへ 生きてるといいね お元気ですか」という手紙を書いたでしょ。手紙を書きながら眠ってしまった写真が新聞に印刷されましたね。自分の写真を見ましたか? とても可愛いですね。
その新聞であなたのことを知りました。お父さん、お母さん、2歳の妹さんが津波で亡くなりましたね。何度も読んで、涙が止まりませんでした。「愛海」は美しい名前ですね。海が大好きで、いつもおいしい魚を採ってくれた漁師のお父さんが、そんな美しい名前をつけてくれたのでしょう。
今、あなたの寝顔の写真を見て、すこし安心です。夢を見ましたか? 夢でお母さんに会いましたか? いま、お母さんは童話の天国にいますよ。白雪姫と七人の背が低い人たちと幸せな生活を送っています。雨はお母さんの涙、風はお母さんの息、雷はお母さんのくしゃみ、太陽はお母さんの笑い。愛海ちゃんはお母さんの姿が見えないけれど、お母さんはずっとあなたのそばにいますよ。ずっと愛海ちゃんのことを見守っています。
きょう、愛海ちゃんは何を食べたか?どんな服を着ているか?何を勉強するか?友達と遊んでいるか?身長はどのぐらい伸びたか?体重はどのくらい重くなったか?お母さんはすべて知っていますよ。だから、元気で大きくなってください。そうすると、お母さんも喜びます。青空にいつも太陽の笑いが見えますよ。
「いきてるといいね」たしかにそのとおりです。4歳のあなたが書いた言葉の深い意味に気づき、驚き、感動しました。人間は生きているから、希望が満ちます。生きているから、奇跡が造れます。朝、眠りから醒め、太陽は光輝き、雲は空を漂い、鳥は歌を歌います。とても幸せですね。生きているから、愛海ちゃんはこれから、長い道を歩くのです。
人生は冒険みたいです。アリスのようにいろいろな面白いところに行き、いろいろなやさしい人と出会い、いろいろな不思議なことを経験できます。未知と困難がいっぱいあります。でも、心配しないで。冒険の道程は楽しみも満ちています。そして、冒険の道であなたは一人ではない。みんなはずっとあなたのことを支え、信じています。お母さんも微笑んで、あなたのことを見守って、神様に加護を祈ります。
愛海ちゃん、中国人の友達を作りたいですか。ここに一人のお兄ちゃんを紹介したいです。お兄ちゃんは林浩と言います。11歳です。2008年北京オリンピック大会開幕式の中国選手団の旗手ですよ。北京国家体育場、「鳥の巣」を行進しました。すごいでしょう。彼は中国四川省からきました。3年前の四川大地震のもっとも小さな救災英雄なのです。小学校2年生だったお兄ちゃんは、自分の怪我をものともせず、一人で校舎と校庭を往復して下敷きになった4人の同級生を救いだしました。災難にあったとき、小さな子供でも不思議な力を出すのです。お兄ちゃんは中国人民のヒーローです。家を失ったお兄ちゃんも今、人生の道を冒険しています。そして、同じ道で愛海ちゃんを待っていますよ。
ここまで読んでくれたら、愛海ちゃんはこの手紙を書いた人はだれだろうと疑問を持つでしょう。私は中国人です。劉倩(りゅうせん)といいます。今、瀋陽市にある東北大学の四年生です。私を劉倩お姉ちゃんと呼んでください。愛海ちゃんのような妹がほしいです。専門は日本語ですから、日本文化、日本人の国民性についての知識を少し身につけました。
日本人が好きな言葉に「一生懸命」があるでしょ。勉強や仕事のことで「がんばります」とよく使うでしょ。日本人は自分の仕事にわが身を捨てる精神があります。日本人の勤勉なところ、正確さを追究するところ、団結するところ、律儀なところ、こうした国民性は外国人にとって、勉強すべきところがたくさんあります。
日本の大震災は悲しい出来事でした。でも、その災難に立ち向かう日本人の姿は世界の人々に感動を与えました。自然を受け入れる大きな器を持ち、子供でさえ取り乱さない冷静さ、身勝手な行動を慎む心、不安な生活を送りながらも、前に向かって冷静に一歩一歩進もうとする精神を、われわれ中国人も見習わないといけないと思います。4歳の愛海ちゃんに、そういう話はうまく理解できないかもしれませんが、ただ一つだけ理解してほしいです。あなたは日本人ですから、どんな困難でも打ち勝てます。だから、悩まないで、迷わないで、夢に向かって、わくわくする冒険の道を歩いてくださいね。
私は、愛海ちゃんのことが大好きです。寝顔を見ただけで、しっかりした女の子であることがちゃんとわかります。今後の道は長いです。私はずっと愛海ちゃんのことを応援します。
創作のインスピレーション: |
薄暗い明りの中で、女の子が机に顔を伏せて眠っています。腕の下に一枚の紙があり、紙に曲がりくねっている文字が書かれています。
「ままへ、いきているといいね。おげんきですか」。
授業で配られた新聞でそのニュースを読むやいなや、涙が止まらなくなりました。この子がいつものようにお母さんの懐に寄り添えることをずっと固く信じていたのに。災害は静かな、穏やかな日常を一瞬にして奪い去ってしまいました。
少女の名前は昆愛海ちゃん。そんな美しい名前をもらって、どんな純粋な心を持っていたかということを考えると、とても痛ましいです。神様はなぜ愛海ちゃんを選んで彼女の家族を奪ったのか、なんで、そんな稚い心を傷つけたのだろうか。
「いきているといいね」。それは幼い子供が言葉に表した覚悟のように思われます。それはまさしく、幼い心の生命に対する賛美だと思いました。私は手紙という形で女の子に話しかけようと決めました。女の子にもわかるように書けば、「日本」への手紙になるかもしれないと感じたのです。
災難に面して、私たちは何ができるのか? 援助、交流、保護、励まし、思いやり。これらはすべて、手をつなぐことです。災難はいつ、どこで起きるか想像できません。人生が旅だったら、道は困難で満ちています。国を越えて幸せに生きるために、私たちは「手をつなぐこと」を将来もっと大切すべきだと思います。 |
感想の言葉: |
日本3•11大震災についての小さな記事に注目し、複雑な気持ちを持ち、私はこの作文を完成させました。賞をいただくことなど考えもしなかったのに、専門家の審査の方々に評価していただき、本当に嬉しく、光栄の至りだと思っております。
2011年3月11日が1億3000万の日本国民にどんな打撃、どんな苦痛を与えたのか、私は文字で表せません。しかし、その小さな新聞記事、両親と2歳の妹を津波で失った4歳の女の子がお母さんへ書いた手紙「いきているといいね」を読んで、悲しみと同時に、感動もありました。生命のはかなさと、生命の強さも感じました。私は女の子への手紙を思いつきました。
一生懸命、何度の何度も書き直した作文でした。それだけに、受賞の知らせを受けた時、とても驚き、うれしかったです。難しさがあり、いつも困っていますが、はじめてコンクールに応募した作文が選ばれるとは信じられませんでした。涙も止まりませんでした。
私の先生はこのような言葉を話したことがあります。「日本は中国にもっとも近い国と同時に、もっとも遠い国だ」。だから、日本を感知するために、私たち、中国の若者たちは、中国の愛国詩人屈原の言うとおり、「路漫漫其修远兮,吾将上下而求索」、道は長いけれど、努力を続けるべきだと思います。
私の作文を評価していただいた主催者の人民中国雑誌社、日本科学協会、中国青年報社、そして日本財団に心から感謝いたします。日本財団の笹川陽平会長、日本科学協会の大島美恵子会長、そして審査員の方々、ほんとうにありがとうございました。
今回の作文を書くことによって、私たち中国の若者は、中日両国交流と発展のかけ橋になり、両国の平和と友好に力を尽くさなければならないことを改めて確信しました。 | |