愛の心
蘇州大学 王莹
日の光は、依然として、身を照らしていた。道端の花壇の花が満開の真っ最中だった。季節の移り変わりには、物事は何もかも変わらずに自然にいくようだが、でもその本質に潜んでいる無常は、一日も遠く離れたことはなかった。それに気がつかなかったかもしれない。一瞬にして、恐ろしい夢のような渦に巻き込まれた今回の東日本大震災は、その無常の一つであるし、マグニチュード9.0の大地震も、怖い災難を引き起こした無常の一つである。
その映像を目にしたときに、この世のものとは思われないほど悲惨を感じた。中国の汶川玉樹大地震のことを考えてみよう。こんな人間の力をはるかに超えた災難に、日本を含めて世界各国の支援が届いた。これからは自然界のもっともすばらしい生命はそんな無常から遠ざけて行くことを願う。そして愛に国境はなく、災難に遭われた人々の立ち直りを祈ると同時に、自分たちが何かできることを考える。
非常に痛ましい東日本大地震は、二度の汶川、玉樹大地震を経験した私たちにまた精神的に強いショックをさせてしまった。人の不幸を喜ぶことはなく、まったく無関心でもなく、日本を援助し、日本の安全を祈ったのは、心の底から唯一の願いだった。これは抽象的なヒューマニズムではなく、ひどい災難に面して人間の強い共鳴だった。
「弟子規」には「凡是人,皆须爱,天同覆,地同载」と書いてある。「天地の間に生まれ育った生命体としての人間は、仁愛の心を持て、互いに関心しなけらばならない。しかも、このような愛は狭いのではなく、広い。」という意味である。この文章から、心を広げて、他人を気遣うこそ、幸福感や満足感を持つということは、われわれの祖先が後輩の私たちに教えていると思った。自分だけさえ良ければと思っている心は、真の幸福から離れていくものだとわたしは思う。
距離的に遠いから、日本人の痛みに触れることはできなかったが、祈りと同情という気持ちを表すことはできる。そのうえ、私たちの愛の心を培うとともに、心がますますひろくなる。それに反して、人の不幸を無関心でいれば、心がますます狭くなる。心が広く逞しいことは、われわれのあるべき姿だ。相手は困難にあったとき、同情心を持って、力を尽くして助けるのが当然だ。そうすると、自分ももっとも強くなれる。
皆愛の心を抱くこそ、真の幸福に近くなれる。もちろん、最初とに、私たちは本当に愛の心は遥かにふられない目標になったが、結局、私たちの心は永遠に雑然とした世界におかれていた。
愛の心をもっと開こう。他人を愛する精神を発揮すれば、「狭い愛」に囚われない。他人を愛することは、本当の愛だと私が思っている。
大地が泣いた、
海が泣いた、
夕日が泣いた、
人が泣いた。
泣け、 泣け、 泣け、
飽きするほど泣いてみる、笑いに変わるまで。
花が咲き、
そして散る。
星が輝き、
そして消える。
戦い、傷つき、悲しみ、
刹那の邂逅から、
愛しに変わるまで。
この詩がいま私の気持ちを描いているように思う。
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