黄山から北西に、神秘の山――九華山がある。
南北朝時代(420~589年)、ここには美しい9つの峰があるために「九子山」と呼ばれていた。唐の時代に、李白がここを遊覧した際、9つの尾根が蓮花のように見えたため、「妙あり 二気を分かち、霊山 九華を開く」という詩句を残した。そのため、このときより「九華山」と呼ばれるようになったのだ。
九華山は、中国の四大仏教聖地(安徽省の九華山、浙江省の普陀山、山西省の五台山、四川省の峨眉山)の1つである。7世紀のころ、新羅(いまの朝鮮半島)の王子・金喬覚が海をわたって唐に入り、75年もの間、九華山で修行をつづけ、99歳のときに円寂したといわれている。甕に納められたしかばねは3年たっても腐敗せず、生きているように見えたため、人々に「地蔵菩薩の化身である」とみなされた。それ以来、九華山は地蔵菩薩の道場となった。香火が絶えず、とりわけ金喬覚の円寂の日(旧暦7月30日)ともなると、各地からの参拝者たちで大いににぎわう。
1300年以上にわたり、九華山からは高僧が輩出され、即身仏となった僧も多くいた。記録が残る即身仏は14尊にも上るそうだが、残念なことに「文革」期の動乱でそのほどんどが破壊された。1988年までにわずか2尊に減少したが、それ以降は4尊の即身仏が増えたといわれる。
長江流域にある九華山は、雨や霧にみまわれる日が年間160日に達するという。このように湿気の多い条件で、なんの技術的処理も行われずに、人間が生身のままで成仏するのは、仏教界における奇跡、現代科学の謎とされる。
現在、九華山には90あまりの寺院があるが、その建築のほとんどは正殿が宮殿式建築である以外は、いずれも民家風の建築である。外から見れば地元の民家と変わりはないが、寺院に入ると、山に沿って曲がりくねって建てられた斎堂や僧房、参拝者の宿舎が配置されているのがわかる。さらに、安徽省南部の民家建築にあるような厚いレンガの防火壁や中庭などの構造をとりいれており、寺院の採光、通風、防火などの問題を解決している。
清代(1644~1911年)に創建された百歳宮は、周りの峰々や岩石、洞窟などと一体となり、建物と山とが巧みに結びついている。九華山寺院建築の代表格となっているのだ。
人民中国インターネット版 2012年4月 |