————中国外文局は新中国成立後の対外宣伝と友好交流分野において非常に重要な働きをしてきました。中日国交正常化40年来、外文局と日本の交流状況について教えていただけますか? この期間中に特に印象深い、忘れがたい、あるいは興味深い出来事などはありましたか?
周明偉局長 外文局成立のその日から、毛沢東主席、周恩来総理、陳毅元帥、宋慶齢主席など革命の先人たちの直接の配慮を受けてきました。毛主席は外文局の重点刊行物のために自ら刊行物名を揮毫してくれました。外文局は新中国の対外情報交流と対外文化交流の中で、確実に重要な役割を担ってきました。日本との往来は、外文局の対外交流のうちの非常に特殊な一分野で、外文局設立当初、すぐに日本人専門家が外文局に滞在しましたが、彼らは新中国建設の志を持ち、中国と友好的に協力する志を持ち、外文局の対外交流の発展をサポートしました。みなさんご存じのように、新中国成立時は、中日関係が非常に困難な時期でもありました。中日間の往来は各種歴史的原因と当時の政治的要因のため、大きな制限を受けていました。それにもかかわらず、中日両国の文化交流と民間交流が途絶えることはありませんでした。これは中日関係が非常に特殊だということを証明しています。中日両国の国交正常化実現は、まさに両国の有識者が力を尽くして推し進めたもので、特に中日関係が最も困難な時期に、彼らは交流を放棄することなく、心血を注いだため、両国関係は和やかになり、友好的に発展してきたのです。
この過程の中で、中日関係の中で唯一の国家クラスの日本語刊行物『人民中国』の発行が停止されることはありませんでした。それぞれ重大な活動の中で、特に国交正常化のプロセスの中で、『人民中国』雑誌社の多くの日本語翻訳者はとても重要な役割を果たしてきました。これらの場面は、私たちの記憶の中で昨日の出来事のように鮮明に残っています。
私にとって印象深かったのは、外文局が担当した抗戦勝利60周年記念写真展です。私たちはこの写真展の企画から日本側との協力での実施までを担当しましたが、そのプロセスは中日関係の複雑性を反映しており、また中日関係が平和的に発展すべきであることを反映しており、両国人民がさらに良い相互交流を行うべきことを反映していました。この写真展は東京で行われましたが、会場には日本の有名な六本木ヒルズ53階にある森美術館が使われ、日本側の多くの有識者の支持と協力を得られました。彼らはこの東京で最も有名な展示会場を無償提供してくれたのです。
写真展が開会されるやいなや、6名の元首相、30名以上の国会議員、7名の元外相、多くのエリート、企業の責任者及び中日友好人士らが参観に訪れ、非常に高い評価を与えてくれました。会期の6日間に1200人の観客がメッセージ帳にメッセージを残しましたが、その多くが非常に感動的なものでした。このように、非常に重々しい歴史的な話題が日本の観客に認められるのは、たやすいことではないと言うべきでしょう。この写真展の開催を通じて、私は中日両国には多くの行わなければならないことがあると感じました。人を満足させられないことがあるとしても、私たちは対日交流の任務をきっとより良く行っていくという自信を持っています。
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