釣魚島問題のいきさつ

 

◇釣魚島等の島嶼は中国人が最も早く発見し、命名し、利用したもの。

◇1895年、日本は甲午戦争(日清戦争)末期に、清政府の敗色が決定的になった機に乗じて、釣魚島及びその付属島嶼を不法に窃取した。

◇第二次世界大戦終結後、中国はカイロ宣言とポツダム宣言に基づき、日本が侵奪・占拠した台湾、澎湖諸島等の領土を回収し、釣魚島と及びその付属島嶼は国際法上中国に復帰した。

◇1951年、日本は米国等の国々と一方的な「サンフランシスコ講和条約」に署名し、琉球群島(現在の沖縄)は米国が管理することとなった。

◇1953年、米国琉球民政府は勝手に管轄範囲を拡大し、中国領である釣魚島及びその付属島嶼をその中に混ぜ込んだ。

◇1971年、日米両国は沖縄返還協定の中で、またしても勝手に釣魚島等の島嶼を「返還区域」に組み込んだ。

◇1972年の中日国交正常化と1978年の平和友好条約締結交渉の過程で、両国の一世代上の指導者は大局に着眼し、「釣魚島問題は棚上げにし、後の解決に持ち越す」との重要な了解と共通認識にいたった。

 

人民中国インターネット版

 

 
 

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