長崎は「西」に向かって発展する
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中村法道長崎県知事 | 中村法道知事にインタビューし、中国ゆかりの観光スポットを巡りながら、中日間の窓口として、大きく発展しようとしている長崎の素顔を探った。
――中国との友好交流の歴史についてうかがいたい。
中村法道知事(以下敬称略) 長崎は中国に一番近い県で、まさに一衣帯水と言えます。古くは約1700年前の『魏志倭人伝』に対馬と壱岐が登場し、遣隋使、遣唐使の時代には五島列島が日本を出発する船の最後の寄港地となりました。
江戸時代、出島に住んだオランダ人に比べ、中国の人たちは出島の外に住み、日本人と交流を重ねてきました。その時から今まで、長崎県民にとって中国は、最も親しみのある「外国」だと言えます。
1971年、当時の久保勘一知事が「中国は一つ」との考え方を表明し、翌年の10月に、日中国交正常化が果たされると、どの自治体よりも先に長崎県は中国に使節団を派遣しました。
――これから長崎は中国とどのような関係を築くのでしょうか。
中村 私が知事に就任してから、長崎の発展のため、「東」よりも「西」を向こうと考えました。これまで「東」、つまり東京・大阪を向いて苦戦してきた長崎ですが、「西」を向くと、そこには古くから交流のある上海があり、東京よりもずっと近い。この特性を活かして、東アジアの活力を県内経済に取り込む「アジア・国際戦略」に取り組んでいます。
第一段階として、ソフトパワーの強化。心の絆を強めていくために昨年、「孫文・梅屋庄吉と長崎」プロジェクトを実施しました。利害を超えた日中の友情が長崎で花開いたことを広く発信したのです。
その結果、武漢市の博物館に長崎県を紹介するコーナーが設置されたり、湖北省と友好提携を結んだりと、予想外の連携が生まれました。
また中国国務院から、孫文と梅屋庄吉夫妻の三人像を寄贈していただきました。これを上海航路の船が発着するふ頭の近くに設置する予定で、日中友好の新たなシンボルとなるでしょう。
――長崎―上海航路の運航が復活しましたが。
中村 長崎県には、雲仙温泉、九十九島、ハウステンボスなど、魅力的なスポットが多くあります。中国からの観光客が、この航路を利用して来てくださるよう期待しています。長崎県は、中国へ観光情報を積極的に提供し、「来てよかった」と思われるよう努力します。
長崎は人と人との交流で栄えてきた街です。日中交流が盛んに行われることが県の活力の源になるということは、歴史が証明しています。ですからお客様を大切にするという精神は「長崎県人のDNAに組み込まれている」と私はいつも言うのです。これからも、日中交流のゲートウェイとしての役割を果たしたいと思います。
――今年は中日国交正常化40周年、長崎県と福建省との姉妹提携30周年ですね。
中村 地方同士は、多少のことではびくともしない姉妹関係を築くことができ、それはいつの時代にも必要なものです。今年は、これまで培ってきた信頼と絆を、次の世代にバトンタッチする大きなチャンスの年だと思います。青少年の交流に力を入れていきたいですね。
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