「盗む」とは何か?辞書の説明では「窃盗」、つまり合法的でない、理にかなわない手段で取得することだ。こうした行為は不名誉であり、良い結果を生むこともあり得ない。釣魚島(日本名・尖閣諸島)をめぐる中国と日本の争いは一見複雑だが、詳細に調べれば、全ての問題はみな「盗む」の一語に由来する。紛争の全ては日本が島を「盗んだ」ことから始まったのだ。
「盗んだ」と言う第1の理由は、釣魚島が中国に属し、日本とは無関係だからだ。日本は釣魚島が自らの領土であることを証明するために脳味噌を絞り、苦心惨憺して口実や根拠を探し回り、釣魚島は日本の商人が最も早く「発見」しただの、いわゆる「無主の地」だの「日本固有の領土」だのといっている。これらは全くの白々しいでたらめであり、「盗んだ」ことを手を変え品を変えて覆い隠そうとする行為だ。釣魚島が中国に属すことには歴史的な記録と証拠となる地図がある。世界にはまず釣魚島という名があり、後に「尖閣」という呼称がでてきたのだ。釣魚島という名は15世紀の中国の明代の史書にすでに見られるが、いわゆる「尖閣列島」という呼称は1900年になってようやく、日本の学者・黒岩恒によって言及されたのだ。大量の史書は中国が最も早く釣魚島で生産活動に従事し、釣魚島を台湾の付属島嶼として海防区域に組み込んだことを証明している。日本の著名な歴史学者・井上清の研究は、1868年の明治維新まで中国の文献を除き、日本と琉球では釣魚島を単独で取り上げた文献が全く見られないことを示している。
事実は明白だ。釣魚島の主は中国であり、日本ではないのだ。日本は中国から釣魚島を盗み取り、名称を変更すれば自分のものになると考えた。だがこれは泥棒が人様の自動車を盗み、家に帰ってナンバープレートを付け替えれば発覚しないと考えるようなもので、そんな簡単なものではない。こうした考え方は全く自他共に欺くものだ。盗んできた物はどんなに偽装し、覆い隠そうとも、その属性は変えられず、財産権は依然人様のものなのだ。
「盗んだ」と言う第2の理由は、当時日本が盗人の後ろめたさで、釣魚島の侵奪・占拠を陰でこそこそと行い、人に顔向けできなかったからだ。日本の国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所図書館所蔵の明治時代の数10点の文書は、日本政府は清朝政府が釣魚島に対して主権を有することを非常にはっきりと理解していたことを明確に示している。日本は1885年に釣魚島の第1次実地調査を行った後、清政府の報復を恐れ、遅々として侵奪・占拠行動を行わなかった。甲午戦争(日清戦争)で清政府の敗局が決定的になった機に乗じて、内閣の秘密決議を通じて釣魚島などをわがものにしたのだ。秘密決議を行ったのは、まさにこうした行為が人に顔向けのできない、白日の下にさらすことのできないものだからだ。もし確かに日本の言うように日本側が最初に釣魚島を発見したのなら、日本の内閣は完全に公明正大に会議で議論し、正々堂々と世界に公にすればいいのだ。秘密裏に決議する必要がなぜあろうか?こっそりと進め、秘密にする必要がなぜあろうか?当時日本がいかにこそこそと、人目を避けて、あたりを見回しながら島を盗んだか、世界の人々は完全に想像できるだろう。日本側が釣魚島に対して行うと公言しているいわゆる実地調査活動は、実際には窃盗行為の見張りと道調べであり、中国の手中からより安全に、円滑に島を「盗む」方法を探るものなのだ。
「盗んだ」と言う第3の理由は、いかなる「盗品」もいかに悪あがきし、包装し、売買しようとも、どれだけの年月が経とうとも、その持主と属性は変えられず、遅かれ早かれ元の持主に返さねばならないからだ。「中国の主権」というラベルはどうやっても剥がせないのだ。現在日本は「島購入」によって釣魚島の属性を変えようと考えているが、これは徒労で無効であり、釣魚島は日本に盗み取られたという本質を一段と露呈し、釣魚島問題の真相を世界の人々により明確に理解させるだけだ。
日本が中国の釣魚島を「盗み」取ったことは揺るぎない事実であり、しらを切りとおすことも、覆い隠すこともできない。われわれは日本側に、幻想を捨て去り、勇気を出して、過ちを正し、誠実に中国側と話し合い、釣魚島問題を適切に解決するよう忠告する。小賢しく振る舞ったり、しらばっくれても、切り抜けることはできないのだ!
「人民網日本語版」 2012年10月16日
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