三、日本と国際社会はかつて釣魚島が中国に属していたと明らかに認めていた
日本の近代以前の正史、国志および学者の論文を見ると、いずれも中国が釣魚島の領土主権を有することに対し、いささかの異議はなく、また中国名をそのまま使用していた。
日本の学者林子平が1785年に著した『三国通覧図説』の付属地図である「琉球三省並三十六島之図」では、釣魚島などの島嶼は中国大陸と同じ色で塗りわけられ、釣魚台(即ち釣魚島)、赤尾山(即ち赤尾嶼)、黄尾山(即ち黄尾嶼)などの島嶼を中国の領土として示している。日本の19世紀中葉以前に出版された多くの地図も釣魚島を中国大陸と同じ色で塗りわけている。
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『三国通覧図説』付属の「琉球三省並三十六島之図」 |
1873年に日本で出版された『琉球新志』付属の『琉球諸島全図』、1875年に出版された『府県改正大日本全図』、1876年に日本陸軍省参謀局が作成した『大日本全図』、1877年に出版された『沖縄志』の中の沖縄に関する地図などはどれも釣魚島が含まれていない。1892年に出版された『大日本府県別地図並地名大鑑』もまた釣魚島を日本の領土範囲に組み入れていない。
19世紀、英国、フランス、米国、スペインなどの国々の関連文献や地図も、すべて釣魚島が中国に属すると認識している。1811年に英国で出版された『最新中国地図』では釣魚島を中国の領土と明記している。1877年、英国海軍が作成した『中国東海沿海の香港から遼東湾までの海図』では、釣魚島を台湾の付属島嶼とみなし、日本の西南諸島と明確に区別している。この地図はその後の国際往来の中で、広く使われてきた。1879年にスペイン人モラレスが作成したアジア地図の中でも、釣魚島、赤尾嶼などの島嶼が中国に属することが明記されている。
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英国海軍が作成した『中国東海沿海の香港から遼東湾までの海図』 |
1971年4月、米国と日本が中国の釣魚島などの島嶼を勝手に受け渡ししたことを知り、荒畑寒村、井上清、羽仁五郎をはじめとする多くの日本人学者は「日帝の尖閣列島略奪阻止の会」を結成し、歴史から見れば釣魚島は日本が日清戦争中に略奪した中国の領土だと主張した。その後、京都大学の井上清名誉教授は『「尖閣」諸島――釣魚諸島の史的解明』を出版した。作者は日本、琉球、中国の関連史料および英国海軍の記録を幅広く調べ、さらに現地視察を通じて、釣魚島とその付属島嶼は古くから今まで中国の領土で、かつての琉球王国にも属していないし、日本の領土でもないことを証明し、日本が中国領土を略奪するためにこじつけたさまざまな観点に反駁した。
以上のことから、中国が持つ釣魚島の主権は日本を含む世界各国に認められていることがわかる。
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