折り鶴とともに
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王杰杰 合肥学院 | 勉強机の上にある小さな折り鶴を見るたびに、昨年のクラスでの出来事がいつも頭の中に浮かびます。今も、私の思いは折り鶴と共に中国と日本の友好にあります。
私のアルバムの中に一枚の写真が入っています。写真には65歳の日本人の先生とクラスメートが一緒に日本の東北地方の大地震の被害者の方々への丁寧に書いた寄せ書きと折り鶴と義捐金とが写っています。
昨年の三月十一日の東日本大震災、その後の原発事故のことを聞いて私たち日本語科の学生たちはいろいろ心配しました。班長としての私は何か日本のためにできることをしようと思い、先生や友達と相談した上で、寄せ書きと義捐金募金にしようと決めました。
そしてある日の午後、私は紙と水彩絵の具と筆を買い、クラス全員と先生と教室に集まり、気前よく自分の生活費からお金を募金しました。そして、日本に対する無限の心遣いと気配りをこめた寄せ書きの文章を紙に書いて持って来ました。
「世界唯一の核被爆国。大戦にも負けた。毎年台風がくる。地震だってくる。津波もくる。小さい島国だけど、それでも立ち上がってきた日本頑張れ!超頑張れ!」
「暗闇の中でこそ自分を信じよう。過去も未来も信じられない、信じられるのは今の自分だけだ。」と書いてきた友達もいました。
普段は遊んでばかりいる男子学生は真面目に「鉄腕アトム、日本人は勇気だ」と励ます言葉を書いたのです。それらを目にした先生は感激に堪えないようで、彼らと握手しました。すると、一人の男子学生はこのように言いました。「僕がこのようにしたのはすべて先生のお蔭です。先生のようなお年寄りでさえ、日中友好のために駆け回るんですから、僕も小さいことからやって日中友好に少しでも役に立てると思ったんです。」と。先生はじっとその学生の目を見ていましたが、何と言ったらいいのか分からない様子でただ微笑んでいました。
突然、二人の女子学生が、折り鶴が千羽入ったガラス瓶を抱えて教室に入って来ました。話を聞くと、彼女たちは一週間ものあいだ夜遅くまでかかってその一千羽の折り鶴を作ったそうです。中国では千羽の折り鶴を作ったら願いが一つ実現できるという言い伝えがあります。だから彼女達は苦労して作ったのです。その願いは被災された方たちへの祈りだと分かりました。それらの折り鶴はゆっくりと飛んで海を渡るでしょう。そして、私たちの祈りも日本に届くと信じています。
その日の午後のことは、学生が楽しそうに寄せ書きしていた様子や、先生が学生たちの寄せ書きをしていた姿を写真に収めていた様子や喜びや笑いとともに一生忘れないと思います。
その後、先生から「皆さんからの義捐金は4月28日に上海領事館に届けました。寄せ書きは、寄せ書きしていただいた様子の写真と共に、5月6日に大船渡市に送りました。」 とメールをいただきました。紹介されていたページをクリックしてみて大変驚かされました。写っていたのは、その午後の私達の寄せ書きと寄せ書きを書いている時の写真が日本の大船渡市の避難所に展示されていて、大勢の人が展示の前に立って見ていた場面でした。
私たちのこのごく小さな祈りが本当に日本人に届いたことに、どんな言葉でも伝えきれないほど心が打たれました。振り返ってみますと、中国と日本の国民が互いに助け合っていこうというその日本人の先生の志が私達の祈りを引き出してくれたと私は思っています。
中国では、「一方有难,八方支援。」という諺があります。日本語にすれば、「ひとつのところが困難にあったら、いろいろなところから支援が来る。」という意味になりますが、実は、助け合うことは日中友好の証というより、むしろ人間の本質というべきでしょう。2008年、四川大震災が起きた時に、すぐ日本から救援隊が来て汗まみれになって働く姿を今でもよく覚えています。私達の大学の日本語学科は大きくはありませんが、今度は私たちの思いが日本に伝えられることに感激しました。
今も、私はあの日の午後のことは大切にしています。時々、折り鶴が大きく羽ばたいて飛んでいる夢を見ます。多くの先生方が、その折り鶴のように中国から日本へ、日本から中国へ友好の種を撒いています。私達の日本への祈りを引き出してくれた先生もその一人だと思います。クラスメートたちもその種を受け継いで、日本と中国に協力と愛と支援の翼を広げて行くでしょう。
私も先生の志をしっかりと受け継いで、中国と日本の友好に役立つ仕事をするつもりです。
審査員評: |
折鶴に仮託して考えを伝える手法を日本語作文でも上手に使っている。丁寧語も適確だが、「てにをは」の使い方をさらに勉強したほうがよい。 |
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