東京から四川の友人にQQで安否確認

 

「また中国で地震だよ。」

父にそう呼ばれ、テレビをみた私の目は、画面に映る「雅安」の2文字に釘付けとなりました。被災経験のない私にとって、自分の知らない土地で起こった災害は、どうしても他人事のように感じられてしまいます。しかし、今回の被災地は雅安—私が今年2月に訪れたばかりの土地でした。しかも中国で最も好きな場所のひとつです。

少し田舎臭い商店や飲食店が賑やかに並ぶ小都市—雅安は、バスに30分も揺られれば、のどかな田園風景と昔ながらの木造家屋たちが目の前に広がる美しい町です。案内をしてくれたのは北京師範大学で知り合った友人でした。彼女の従弟や従妹も合流し、私を観光名所や絶品料理店に連れて行ってくれました。

2012年12月、北京師範大学「留学生の夜」。 李玉剛の「新貴妃酔酒」を真似て演じた筆者(右)。このパーティーにも雅安出身の中国人学生が参加していた。筆者はこの写真をを見ながら被災地に住む友人知人の安否を心配している。

江沢民元国家主席(党総書記)も愛したというターター麺(※大ターは「手へん」に「達」)は、のどごし抜群のきしめんが、ごま油の利いた日本人好みの薄味スープに絶妙にからまり、時間を忘れて何杯も頼んでしまう一品でした。夜は四人で喉がかれるまで歌い、鍋を肴に白酒(中国焼酎)を飲み交わし、語り合い、おそらく一生忘れることのない思い出を作りました。

その雅安で、マグニチュード7.0の大地震が起こりました。慌ててQQ(中国版Skype)で四川の友人数人に安否を尋ね、「成都は揺れが大きかったものの無事だ」との便りに胸を撫で下ろしたものの、雅安の友人からは一向に返事がありません。夜中になってようやく、「家族ともに無事」との言葉を聞き、胸をえぐられるような不安から、解放された心持ちになりました。

汶川地震の起こった2008年、私はまだ高校生で、中国語を学んだことはありませんでした。当時、中国よりもアメリカに関心のあった私にとって、その地震は他人事でしかなく、何らかの行動を起こそうとは思いませんでした。 東日本大震災は私に「何かしなければ」という思いを抱かせました。中国語に多少の自信がつき、中国にも愛着を覚え始めていた私はTwitter上で在日中国人向けに中国語版災害情報を発信しようとしました。この取り組みの息が長くもたなかったのは、私の中国語力の問題以上に、「他人事」感覚を拭いきれなかったことが大きかったはずです。

初めて他人事ではなくなった大震災。私がJCSFG(日中学生交流連盟)のメンバーに、チャリティ・プロジェクトを提案するやいなや、多くの賛同の声が集まりました。焦燥感と心強さの交錯する中、「今、雅安に必要なもの」を知るべく、人人網(中国版Facebook)や新浪微博(同Twitter)上で、片端から中国の友人に呼びかけました。

「3.11で世界中の人々がつくってくれた“Pray for Japan”の映像に感動した」という友人の言葉をヒントに、「日本人の思いを雅安に伝える」映像を制作・配信することに決めました。学生らしく、お金もかからない活動を通して、日本中のメッセージを雅安に届けることで、被災地で苦しむ人々に小さな勇気を与え、雅安支援の1つの流れをつくっていきたいと思います。

雅安のため、私たち学生にできること。(文=中山一貴)

 

人民中国インターネット版

 

 

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