青島の歴史は長く、絢爛たる文化を誇り、中国の道教の発祥地である。
今から5000~6000年遡る新石器時代には、東夷人が栄えた主要な地区の一つであり、豊富で多彩な大汶口文化、龍山文化、岳石文化の面影を残す。
商周時代には、中国の海塩の発祥地であり、中国の「四大古塩区」と「五大古港」に入る。
春秋戦国時代には、この地に山東地区の第二の大きさの町である「即墨」が築かれた。「即墨故城」(現・平度市内)は、中国に現存するもっとも早期の古代の城池の遺跡である。越王勾践は、琅琊(現・膠南市内)の築台で盟約を結び、一代で王となった。
秦の始皇帝は中国統一のあと、天下を行幸し、琅琊に三度登った。記載によれば、中国のもっとも早期の遠洋航海者である徐福は、東の朝鮮、日本に向かったが、その航海の始まりは、琅琊であった。漢の武帝は、少年時代、不其(現・城陽区内)において膠東王となり、中国の記録に残るなかで、青島地区にもっとも多く訪れた皇帝である。
唐宋時代には、ここは南北航海の中継駅となり、中国の北沿海部のもっとも重要な交通の要衝、貿易の窓口となった。宋代には、板橋鎮(現・膠州市内)に「市舶司」が設けられ、対外貿易を管理した。
明清時代には、この地は中国北方の重要な海防の要塞となり、「膠澳」と称した。
1949年、新中国の成立後は、青島は山東省管轄の市となった。
1981年、青島は中国の経済中心都市15市、沿海開放都市14市にリスト入りした。
1994年、青島は、全国15副省クラス都市、国家歴史文化名都市となった。
人民中国インターネット版 |